この度、東京化学同人社から表記の本を出版しました。目次、まえがき、あとがきの部分を転載します。
「目次」
1.ウイルスの本体
1)動物ウイルスと植物ウイルスの発見
2)細菌ウイルス(ファージ)の発見
3)ウイルスの本体解明へ
コラム:ウイルス量測定法の進展
4)古細菌ウイルスの発見
5) ウイルスは生きている
2.人ウイルスの起源
1)農耕社会で生まれたヒトウイルス
2)生物との共進化で生まれたヒトウイルス
(1)ヘルペスウイルス
(2)B型肝炎ウイルス
3)人獣共通感染症ウイルス
4)現在も生まれているヒトウイルス
3. 現代社会がもたらすエマージングウイルス
1)齧歯類由来のエマージングウイルス
(1)アレナウイルス
①リンパ球性脈絡髄膜炎(LCM)ウイルス
②マチュポウイルス
③ラッサウイルス
④ルジョウイルス
(2)ハンタウイルス
①腎症候性出血熱ウイルス
②シンノンブレウイルス
2)コウモリ由来が疑われるエマージングウイルス
(1)マールブルグウイルス
(2)エボラウイルス
(3)ヘンドラ・ニパウイルス(へニパウイルス)
(4)重症急性呼吸器症候群(SARS)ウイルス
(5)中東呼吸器症候群(MERS)ウイルス
3)節足動物が媒介するエマージングウイルス
(1)日本脳炎ウイルス
(2)ウエストナイルウイルス
(3)デングウイルス
(4)重症熱性血小板減少症候群(SFTS)ウイルス
(5)ジカウイルス
4)水鳥由来のインフルエンザウイルス
コラム:人が作り出したミツバチ世界のエマージングウイルス:チヂレバネウイルス
4.見直されるウイルスの存在意義
1)善玉ウイルスの側面
(1)エイズの進行を抑えるG型肝炎ウイルス・GBV-C
(2)潜伏感染して細菌抵抗性をもたらすヘルペスウイルス
(3)善玉菌の代わりをつとめるマウスのノロウイルス
(4)粘膜からの細菌侵入を防ぐファージ
2)ヒト内在性レトロウイルス(HERV)の役割
①妊娠を維持するHERV-WとHERV-FRD
②初期胚の多能性を支えるHERV-H
③初期胚をウイルス感染から守るHERV-K
コラム:内在化が進行中のコアラレトロウイルス
コラム:哺乳類のゲノムに組み込まれた内在性ボルナウイルス様配列
3)胎盤の形成を支えるレトロトランスポゾン
4)人体内のウイルス集団(ヒト・ヴァイローム)
5.広がるウイルス世界
1)巨大ウイルスの発見
(1)藻類から見つかった巨大ウイルス
(2)アメーバから分離された巨大ウイルス
(3)巨大ウイルスに見いだされた獲得免疫機構
コラム:CRISPR/Cas 9(クリスパー・キャスナイン)によるゲノム編集技術
2)ウイルスの最大貯蔵庫となる海洋
(1)水圏に存在するウイルス世界
(2)海のウイルスの地球環境への影響
(3)メタゲノム解析による海のウイルス探索
6.ウイルスの特性を利用する医療新技術
1) 新世代ワクチン
(1)ウイルス様粒子ワクチン
(2)ベクターワクチン
(3)DNAワクチン
2)癌のウイルス療法
3) ファージ療法
4)遺伝子治療
「まえがき」
19世紀が終わる直前、牛の口蹄疫とタバコモザイク病の原因として、動物ウイルスと植物ウイルスがそれぞれ初めて発見された。ここからウイルス学が始まった。当初、微小な細菌とみなされたウイルスが細菌とは異なる存在ということが判明したのは20世紀半ばである。その頃からワクチンによるウイルス感染症の予防が進展し、その最大の成果になったのは、1980年に世界保健機関(WHO)が宣言した天然痘の根絶である。一方、急速に進んだグローバル化に伴い、ヒト免疫不全症ウイルスによるエイズを初めとするさまざまなウイルス感染症の突然の出現に見舞われるようになり、20世紀後半はエマージングウイルスの時代となった。そして、ウイルスは危険な病原体というイメージがさらに強くなっていった。現在もウイルスといえば、エボラとかインフルエンザといった病気にすぐ結びつけられている。
しかし、20世紀の終わり頃から、病原体だけがウイルスの真の姿ではないと認識されるようになってきた。ウイルスは30億年前には地球上に出現していたと推測されている。そして、ウイルスは生物とともに進化してきた生命体という証拠が集まってきた。ウイルスは、進化の歴史の中で、単に病気を起こすための存在ではなく、もっと重要な役割を受け持っていることが分かってきた。人類がチンパンジーから分かれたのは600万年前から500万年前と推定されている。現生人類(ホモ・サピエンス)は約20万年前に出現した。ウイルスにとって、人との遭遇はその長い歴史の最後のひとこまに過ぎない。
2003年にヒトゲノムの解読結果が発表された。ヒトゲノム・プロジェクトが産みだしたゲノム科学は、ウイルスが、人の進化や胎児発生などに深く関わっていることを明らかにしつつある。善玉細菌と同様に、善玉ウイルスの側面があることも明らかになってきている。一方、小型の細菌よりも大きな巨大ウイルスがあいついで見つかり、ウイルスを含めていない現在の生物の定義に疑問が投げかけられている。
海洋には、天文学的数字の未知のウイルスが存在することが分かってきた。我々の体の中でも、100兆を超す腸内細菌の世界に膨大な数のウイルス(ファージ)が共存しており、皮膚、呼吸器など他の部位にも多くの種類のウイルスが存在することが明らかになりつつある。ウイルスは地球上で、もっとも多様性に富み、かつ、もっとも数多く存在する生命体であって、我々はウイルスに囲まれて生きているのである。
これまで、私は岩波科学ライブラリー「ウイルスと人間」、「ウイルスと地球生命」などの著書で、広大なウイルス世界の一端を紹介してきたが、その後も生命体としてのウイルスに関する知見は急速に蓄積しつつある。これらの最新の情報を含めて、新しい視点から俯瞰したウイルスの世界を紹介する。
「あとがき」
ウイルスが細菌とは異なる存在ということが明らかにされ、ウイルス学が進展し始めたのは、第2次世界大戦後である。1953年には日本ウイルス学会が設立された。私の恩師の東京大学獣医畜産学科家畜細菌学教室の越智勇一教授は、学会設立発起人のひとりとして、第2回総会の会長をつとめられ、私たち教室員も総会の運営を手伝った。1956年、私は越智先生の紹介で北里研究所(北研)に入所し、初めてウイルスと取り組むことになった。
与えられた課題は、国立予防衛生研究所(予研)(現・国立感染症研究所)、日本BCG研究所と共同で、天然痘ワクチン(ワクチニアウイルス)の耐熱性を改良することである。天然痘流行地のアジア、中近東、アフリカでは、冷蔵設備が乏しかったため、冷蔵の必要のないワクチンが望まれていたのである。天然痘は1980年にWHOにより根絶が宣言された。私たちの耐熱ワクチンはネパールでの根絶に用いられた。
ワクチニアウイルスの実験はウサギや孵化鶏卵で行われた。ウイルス学の初期だったのである。1961年から3年間のカリフォルニア大学への留学ののち、私は予研に新設された麻疹ウイルス部に移った。麻疹ワクチンの国家検定が私に課せられた業務だった。1960年代は、細胞培養ワクチンの黄金時代の始まりだった。ポリオ、麻疹、風疹、ムンプスなどのワクチンが相次いで開発された。当時、予研では、これらのワクチンの検定と研究用に年間1000頭以上の野生サルを輸入していた。1967年、アフリカ産のサルから致死的なマールブルグウイルス感染がドイツとユーゴスラビアで突然発生し、社会に大きな衝撃を与えた。ウイルス専門家としてサルの安全対策委員会のまとめ役をつとめていた私は、この時以来、マールブルグウイルスを初め、ラッサウイルス、エボラウイルスなど相次いで出現したエマージングウイルスへの安全対策の確立にもかかわることになった。
研究テーマの麻疹ウイルスでは、発熱や発疹など激しい症状を伴う麻疹の発病機構をウイルス学的に研究することを目指した。しかし、サルに麻疹ウイルスを接種しても、ほとんど無症状だった。そこで、注目したのが麻疹ウイルスと近縁の牛疫ウイルスである(本文で紹介したように麻疹ウイルスの祖先とみなされている)。これは、牛に致死的感染を起こすが、ウサギに順化した生ワクチンは牛では弱毒で、ウサギでは致死的感染を起こす。そこで、牛疫ウイルスのウサギ・モデルで発病機構の研究を行った。
1979年私は、東大医科学研究所(医科研)に新設された実験動物研究施設に移った。医科研は当時進展し始めた遺伝子解析の中心的存在であり、牛疫ウイルスと麻疹ウイルスの遺伝子解析が私の研究テーマに加わった。その頃、世界食糧農業機関(FAO)の牛疫の根絶計画が進行中だった。牛疫は、農業の重要な担い手である牛で100%近い致死率を示すため、ローマ帝国の東西分裂の引き金になるなど、4000年にわたって世界史をゆるがせてきた病気である。牛疫根絶作戦が行われていたのは、WHOの天然痘根絶の際に、耐熱性ワクチンを必要としていた地域で、牛疫ワクチンでも耐熱性が求められていた。そこで、北研時代の経験をもとに、耐熱性天然痘ワクチンに牛疫ウイルスのエンベロープ遺伝子を組み込んだベクターワクチンを開発した。私はFAO専門家として根絶計画に参加したが、このワクチンは、野外試験を始める前に、従来のワクチンにより2001年以後、牛疫の発生が見られなくなったため、実用化にはいたらなかった。10年後の2011年、FAOと世界動物保健機関(OIE)は合同で、牛疫の根絶を宣言した。これまでに根絶されたウイルス感染症は天然痘と牛疫だけであり、私は両方の根絶に関わるという、貴重な経験ができた。
こうして半世紀にわたる私の研究人生では、動物実験から培養細胞、遺伝子解析というウイルス学の進展を直接体験してきたが、研究対象としたのは病原体としてのウイルスに限られていた。退官後、病原ウイルスでなければ研究費が獲得できないといった束縛から解き放たれて、ウイルスの存在意義を考え直してみると、そこには生命体としてのウイルスの世界が、ゲノム科学の進展に支えられて急速に開かれ始めていた。そこで、1995年以来続けていた連続講座「人獣共通感染症」http://www.jsvetsci.jp/05_byouki/ProfYamauchi.htmlを180回で終え、現在は「生命科学の雑記帳」https://www.primate.or.jp/category/zakki/で共生するウイルスを中心とした解説を行っている。本書はそれらの延長になったといえる。
大学時代を振り返ってみると、越智先生はコッホの時代から続いていた伝染する病原細菌という視点だけでなく、体内の常在細菌叢の役割に注目する必要性を強調されていた。現在脚光を浴びている腸内細菌学の領域を確立した光岡知足さんは、越智教室の1年先輩で、当時はニワトリの腸内細菌叢の探索に没頭していた。彼が初めて提唱した善玉菌、悪玉菌という概念は、ウイルスの世界にもあてはまるようになってきた。現在、私が思い描いているウイルスの世界像の原点は、越智教室にあったのである。