141.知られざるナチュラリストとしてのコッホ

コッホの原則が生まれるきっかけになった炭疽菌の発見の経緯を調べるために、コッホの伝記『Robert Koch: A Life in Medicine and Bacteriology』を読みなおしてみたところ、コッホがジェンナーと同様、ナチュラリストの視点で研究を進めていたことに初めて気が付いた。私が在籍していた北里研究所にはコッホ神社があるように、日本では、北里柴三郎の恩師として偉大な科学者としてのコッホのイメージだけが先行している。しかし、ナチュラリストとしてのコッホのことは、まったく知られていない。ナチュラリストのジェンナーについては、拙著『近代医学の先駆者―ハンターとジェンナー』で紹介したので、コッホのナチュラリストの側面を取り上げてみる。

ロベルト・コッホは1843年にドイツ、ニーダーザクセンのハルツ山地の小さな炭鉱の町クラウスタルで生まれた。少年時代からナチュラリストで、母方の叔父に連れられてしばしば田舎へ自然観察に出かけていた。叔父もナチュラリストで写真に凝っていて、コッホに写真撮影を教えてくれた。コッホはとくに動物に興味を持っていて、カブトムシ、蝶、ケムシ、植物、岩石を採取し、分類するのに没頭していた。

ゲッティンゲン大学医学部を卒業後、コッホは、29歳の時、当時ドイツ帝国の小さな町ウォルシュタイン(現在はポーランドのボルシュティン)の地区医務官(Kreisphysikus)の資格を得て、そこで診療を始めた。この町は森と美しい湖があって、ナチュラリストのコッホには、うってつけの場所だった。

診療所は大きな部屋で、患者は呼ばれるまで、外の踊り場で待っていた。この部屋はカーテンで2つに仕切られ、一方は診察室、片側は実験室になっていた。窓からは太陽光が差しこんで細菌の写真が写せるようになっていた。雲がかかると写真が撮れなくなるおそれがあったため、エミー夫人が外で雲の動きを見張っていた。

庭は実験動物のまさに動物園で、モルモット、ウサギ、マウス、それに2頭のサルまで飼育されていて、これらの動物の世話は夫人と娘が行っていた。

診療のほかに、地区医務官として種痘、死亡診断書、公衆衛生一般についての助言なども受け持っていた。

当時、コッホの住む地域ではヒツジとウシで炭疽が発生していて、ヒトがかかることもあった。コッホはナチュラリストとして藻類や原生生物の顕微鏡での観察を行っていたが、炭疽についても同様に趣味として、観察の対象にとりあげた。1873年には炭疽で死亡したヒツジの血液での顕微鏡観察を始め、翌年4月12日、胞子と思われる像を見つけたことをノートに書き残している。これは、炭疽菌の芽胞の最初の記録である。出費を節約して、新しい顕微鏡を買い、観察時間を稼ぐために患者を別の医師のところに回したりして、彼は炭疽菌の形態の変化を観察するのに没頭した。

1875年秋、警察官が死亡したヒツジを押収し、コッホを呼んで検査を依頼した。これも地区医務官の業務だったのである。顕微鏡で見たところ、毛皮についていた血液には細菌が充満していた。

1875年12月23日は、コッホを病原細菌へと導くことになった運命の日となった。コッホは毛皮に付着した血液をウサギの耳と背中に注射した。ウサギはすぐに発病して24時間後には死亡した。クリスマスイブだったので、急いで接種部位の耳と背中の皮膚を切り取り、アルコールの瓶に入れた。そして顕微鏡でかなりの数の細菌が存在することを確かめた。

翌朝、クリスマスのため患者からの要請もなく、コッホは余裕をもって死亡したウサギを調べることができた。鼠径リンパ節と耳下リンパ節を切り開いて液体を採取し、顕微鏡で調べたところ、細菌が充満していた。鼠径リンパ節からのサンプルを新しいウサギの両方の角膜に接種したが、何も変化は起こらなかった。そこで、12月29日、左側の角膜に小さな切り傷をつけたところ液体があふれ出てきた。細菌が含まれていたリンパ節の小さな断片を、この切り傷の中に入れたところ、5日後、ウサギは死亡した。すでに1863年には、デバインが炭疽にかかったウシの血液で健康なウシを感染させうることを見つけていた。コッホはウサギでこのことを確認しただけではなかった。彼は、ウサギの脾臓、頸部リンパ節、血液、そして濁った眼房水に細菌を検出し、眼房水で細菌が増殖しているのに注目して、すばらしいアイディアを思いついたのである。ウサギの眼房水を用いて炭疽菌の人工培養である。

顕微鏡観察だけに頼っていたコッホの実験は、動物実験、さらに人工培養へと急速に発展した。炭疽菌の培養の試みは、それまで失敗していたが、コッホは眼房水に着目した。と畜場からウシの眼房水をもらってきて、それを培養液にした。そして、すぐに細菌の培養には30-35℃の暖かい温度の重要性を見いだした。彼はスライドの上で炭疽菌を培養していた。その際、乾燥を防ぐためにパラフィンでシールしていたのだが、まもなく、シールしないスライドの方が、ほとんど乾いていたにもかかわらず、細菌が良く増殖していることに注目した。ここで酸素の重要性に気が付いたのである。スライドでの観察で、彼は炭疽菌が胞子を形成することを見いだした。すでに、ブレスラウ大学植物生理学研究所のフェルディナンド・コーン教授が、枯草菌が胞子を形成することを発表していた。コーンは細菌の研究の第一人者であり、彼が発行していた植物の生物学論文集には、細菌の研究に関する論文を多数掲載されていた。

コッホは1876年4月22日にコーンに手紙を送って、「多くの失敗の後に、私はついに炭疽菌の完全なライフ・サイクルを明らかにすることができました。」と述べ、コーンの研究所を訪問して実験結果を直接説明したいと述べた。この願いは受け入れられ、コッホは、炭疽で死亡したマウスの新鮮な血液を子ウシ眼房水で培養したスライドを持参して、炭疽菌の芽胞形成から発芽、増殖の過程を再現してみせた。コーンはこの結果に興奮し、この成績の重要性はすぐに大学中に知れ渡った。

わずか1ヶ月あまりの実験成績をまとめた「バチルス・アントラシス(炭疽菌)のライフ・サイクルにもとづく,炭疽の病因」と題した論文は、特定の細菌が特定の病気を起こすという病原細菌学を確立した歴史的論文となった。

コッホは子供のときからナチュラリストで、それが医学、公衆衛生に興味を抱くきっかけとなり、感染症の生態学へと進んだ。そして、病気の仕組みにはまったく関心を示さず、炭疽菌の自然史に興味を抱き、そこから病気の原因の理解へと発展させたのである。

 

文献

Thomas B. Brok: Robert Koch: A Life in Medicine and Bacteriology. ASM Press, 1999.
Martin Dworkin. Robert Koch from obscurity to glory to fiasco, Journal of Opinions, Ideas, and Essays. October 5.2011 Article #1. http://purl.umn.edu/148010.