世界で初めての異種移植が2022年1月10日、メリーランド大学病院で行われた。末期の心臓病患者デイヴィッド・ベネットへのブタの心臓の移植である(本連載142)。手術を行ったバートレイ・グリフィス医師によれば、移植当初の経過は良好と伝えられていた。
しかし、約40日後、彼の症状は悪化し、3月4日に死亡した。移植から約2ヶ月後である。大学からの発表では、死亡の原因はその時点では不明とされていた。
4月20日、アメリカ移植学会のオンラインセミナーでグリフィス医師から、移植されたブタの心臓がブタサイトメガロウイルス(PCMV: porcine cytomegalovirus)に感染していたことが発表された。患者の症状は、移植の際の拒絶反応とは異なっていて、おそらくPCMV感染により移植された心臓が機能停止したものと推測された。
注:PCMVはサイトメガロウイルス属ではなく、ヒトヘルペスウイルス6型(HHV6)などが含まれるロゼオロウイルス属(genus roseolovirus)とみなされることから、ブタロゼオロウイルスの名前が提唱されている。なお、HHV6は大阪大学微生物病研究所の山西浩一教授が分離したもので、突発性発疹の原因ウイルスである。
人のサイトメガロウイルス感染では、抗ウイルス剤のガンシクロビルが効果的だが、PCMVには効かない。ベネットの症状が悪化した際には、エイズ治療などに用いられる抗ウイルス剤のシドフォビルやヒト免疫グロブリンが投与され、一時、軽快したように見えたが、再び症状が悪化して死亡した。
ドイツ、ロベルト・コッホ研究所のヨアヒム・デンナー(Joachim Denner)は、ブタの心臓をヒヒに移植した実験でのPCMVの影響を調べた結果、長期間(182日と195日)生着した心臓はPCMV陰性で、短期間(50日と90日)生着した心臓は感染していたことから、PCMVに感染した場合、心臓の生着期間が短くなることを見いだしていた。そして、ベネットの場合にも同じことが起きた可能性を指摘している。
PCMVは、多くのブタに潜伏感染している。人には感染しないとされているが、ヒト細胞に感染したという報告もある。今回の場合には、PCMVがブタの心臓で増殖して、心臓の機能不全をもたらしたと推測されている。しかし、「末期の症状の患者で、PCMVだけが死亡の原因かどうかは分からない」と、デンナーは語っている。
PCMVは、母親から子に垂直感染することもあるが、ほとんどの場合、離乳後に感染している。そのため、早期離乳もしくは帝王切開をすることで、感染を防げる。高感度のPCR検査で検出できるが、ウイルスは冬眠状態で潜伏しているため、血液や鼻粘膜の検査では見逃されるおそれがある。今回のブタの場合にどのような検査システムだったのかは不明である。
PCMVフリーのブタの心臓であれば、もっと長期間生存できた可能性が考えられる。その視点から、今回の手術は異種移植の実現に向けての大きな進歩とみなされている。一方、生命倫理の専門家のひとりは、医師が感染を阻止または制御できないような試験は、正当化できないと批判している。
文献
Antonio Regalado: The gene-edited pig heart given to a dying patient was infected with a pig virus. MIT Technology Review.
https://www.technologyreview.com/2022/05/04/1051725/xenotransplant-patient-died-received-heart-infected-with-pig-virus/
Denner, J. et al.: Impact of porcine cytomegalovirus on long-term orthotopic cardiac xenotransplant survival. Scientific Reports, 2020, 10:17531.
Denner, J. Xenotransplantation and porcine cytomegalovirus. Xenotransplantation 22(5), 329–335 (2015).