現代社会でのサル痘ウイルスの伝播力の推測
21世紀に入ってからサル痘がアフリカ以外でもしばしば発生している。天然痘ワクチンによる免疫がほとんどない社会にサル痘が侵入した場合の伝播がどのようになるか、2020年、パスツール研究所のエマージングウイルスの疫学研究グループは、サル痘ウイルスの基本再生産数(R0)の推定を試み、WHO公報に発表した。
検討の対象に取り上げたのは、ザイール(現、コンゴ民主共和国)で1966から1984にかけての発生データだった。ザイールのサル痘ウイルス(コンゴ盆地クレード)は、現在世界各地で発生している西アフリカ・クレードのウイルスよりも病原性が強く致死率は13%に達していた。天然痘には大痘瘡と小痘瘡の2種類があり、前者の方は30%に達する致死率を示す。西アフリカ・クレードのサル痘ウイルスは、大痘瘡と小痘瘡の中間くらいとみなされている。
検討の結果、ザイールにおけるサル痘ウイルスのR0は0.32と推定された。しかし、1970年代終わりまで、80-95%の人が天然痘ワクチンを接種されていたため、このR0は、多くの人がサル痘に対する免疫を持っている集団での値を示している。そこで、ワクチンの防御効果を85%と仮定して免疫のない人の間でのR0を数理モデルで推定したところ、2.13となった。この値はインフルエンザウイルスとほぼ同じである。天然痘ウイルスの3.5~6.0よりは小さいものの、流行を引き起こす可能性を示す値であり、今後の流行の警告とみなされた。
今回、流行しているウイルスは、ポルトガルのチームの解析結果では、西アフリカ・クレードで、2018年に英国、シンガポール、およびイスラエルで検出されたウイルスにきわめて近いと言われている。しかし、人で伝播しやすくなったかどうかは、不明である。
サル痘の予防ワクチン
本連載151回で述べたように、サル痘ウイルスはワクチニアウイルスにもっとも近縁のウイルスであることから、天然痘ワクチンはサル痘にも同防御効果を示すと考えられる。しかし、実際にサル痘に対する防御効果が調べられたことはない。
天然痘ワクチンがサル痘に対して85%有効と言われているのは、コンゴ民主共和国における1980-1984のサル痘発生を、天然痘ワクチンの接種を受けた人と受けていない人で比較した結果から推定した値である。ワクチン接種を受けたグループでは598名中10名が発症(発生率0.017)、受けていないグループでは236名中26名が発症(発生率0.110)したというデータから、ワクチンの効果が85%(0.110-0.017/0.110)と推定されたのである。
ところで、天然痘ワクチンは、WHOにより、第1世代、第2世代、第3世代に分類されている。第1世代はウシで製造したもので天然痘根絶計画に用いられたのは、このワクチンだった。第2世代は細胞培養で製造、第3世代は細胞培養ワクチンをさらに弱毒化したものである。コンゴ民主共和国で用いられていたワクチンは第1世代である。
第2世代ワクチンとしてはACAM2000がある。これは、2001年の同時多発テロ以後、天然痘ウイルスによるバイオテロ対策として米国で2007年に承認された。
第3世代には、1976年日本で承認されたLC16m8ワクチンと、2013年EUで承認されたMVAワクチンのふたつだけがある。いずれも、中和抗体産生を指標とした有効性は第1世代ワクチンと同等だったことから、サル痘に対しても85%有効というわけである。
LC16m8ワクチンは千葉県血清研究所の橋爪壮博士(私の旧制静岡高等学校の先輩)がウサギ腎臓細胞培養で低温に順化させたのち、孵化鶏卵の漿尿膜で小さなポックを作るウイルスをクローニングして作製した弱毒ワクチンで、1万人以上の人で有効性と安全性が確認され、1976年に承認された。これは世界で初めて承認された第3世代ワクチンである。しかし、翌年、種痘が中止されたため、一般に使用されることはなかった。2005年、厚生労働省は5600万人分の備蓄を検討することになった。現在の備蓄量は公表されていない。
ゲノムの解析の結果、細胞の間での伝達に関わる遺伝子領域に変異が認められ、これがポックサイズの減少、中枢神経への侵入のリスクの低下を招いていることが推測されている。
MVA(Modified vaccinia virus, Ankara strain)ワクチンは、トルコのアンカラで馬痘*の病変から分離されていたウイルスを、1959年からドイツ連邦政府ウイルス病センターのアントン・マイヤー(Anton Mayr)が、ニワトリ胚細胞で500代以上、継代して作製したワクチンである。これは、ニワトリ細胞で良く増殖するようになっていて、ヒト細胞ではほとんど増殖しない。1974年には約2万5000人を対象とした臨床試験で弱毒化している成績が発表された。その後、ドイツ南部とトルコで12万人以上に接種された。
なお私は、1964年、米国留学から帰国の途中、サル痘ウイルスを分離したデンマーク国立血清研究所で天然痘ワクチンの第一人者A.ヘルリッヒ(Herrlich)に会った後、ミュンヘン大学教授になっていたマイヤーを訪問しMVAワクチンについて話を聞くことができた。半世紀以上も前のことで、現在のような人でのサル痘の流行といった事態は予想もしていなかった。
*注:ジェンナーは、牛痘の原因は馬のかかとに存在すると語っていた。馬痘の処置をした手で、搾乳することにより、乳牛に感染を広げていると考えていたのである。20世紀に種痘のウイルスは牛痘ウイルスではなく、ワクチニアウイルスであることが明らかにされた。21世紀にゲノム解析で、馬痘ウイルスはワクチニアウイルスと同一ということが明らかにされている。ナチュラリストとしてのジェンナーの洞察がゲノム解析で裏付けられたのである。
ゲノムの解析で、MVAワクチンはガンマ・インターフェロンの受容体の領域に欠損があって、これが弱毒に関わり、同時に免疫力の増加に働いていると推測されている。
MVAワクチンは、デンマークの製薬会社、ババリアン・ノルディック(Bavarian Nordic)社でさらに弱毒化され、MVA-BNの名前で販売されている。これは、非増殖性ワクチンで2回接種することになっている。
文献
Grant, R. et al.: Modelling human-to-human transmission of monkeypox. Bulletin of World Health Organization, 98, 638-640, 2020.
Page, M.L.: First monkeypox genome from latest outbreak shows links to 2018 strain. New Scientist, 20 May 2022.
Fine, P.E.M. et al. : The transmission potential of monkeypox virus in human populations. International Journal of Epidemiology, 17, 643-650, 1988.
杉本正信、橋爪壮:『ワクチン新時代』岩波書店、2013.
山内一也:『近代医学の先駆者 ハンターとジェンナー』岩波書店、2015.
Stickl, H. et al.: MVA-Stufenimpfung gegen Pocken. Klinische Erprobung des attenuierten Pocken-Lebendimpfstoffes, stamm MVA. Deutsche medizinische Wochenschrift, 99, 2386-2392, 1974.
Mayr, A. et al.: Der Pockenimpfstamm MVA: Marker, genetische Struktur, Erfahrungen mit der parenteralen Schutzimpfung und Verhalten im abwehrgeschwächten Organismus. Zentralblatt für Bakteriologie, Mikrobiologie und Hygiene, I. Abt. Orig. B167, 375-390, 1978.
Blanchard, T.J. et al.: Modified vaccinia virus Ankara undergoes limited replication in human cells and lacks several immunomodulatory proteins: implications for use as a human vaccine. Journal of General Virology 79, 1159-1167, 1998.