これまでの経緯
2000年に初めて有効とみなされるエボラワクチンの開発が報告された。エボラウイルスのGP(糖タンパク質)とNP(核タンパク質)を発現するDNAワクチンで初回免疫を与え、ついで同じタンパク質を発現するアデノウイルスベクターで追加免疫を行うものだった(人獣共通感染症109回)。
2002年米国食品医薬品庁(FDA)はエボラウイルスのような致死的ウイルスのワクチンの有効性について人での臨床試験は倫理的でないとして、適切な動物モデルで得られた成績から人での有効性が予測できる場合、人での野外試験を行うことなく商品化しうるという新しい規則を制定した。これは、おそらく2001年の同時多発テロを受けて、バイオテロ対策の一環として行われたものと推定される1。
それから10年あまりの間にエボラワクチンの開発は、疾病制圧予防センター(CDC)、米陸軍感染症研究所(USAMRIID)、国立衛生研究所(NIH)、カナダ国立微生物学研究所などで進められ、サルでの有効性が見られたワクチンがいくつか開発されてきた。その主なものを表に示した2。
ワクチンのタイプ | 免疫源 | 特徴 | サルでの防御率(接種回数) |
問題点 |
アデノ5型ベクター ウイルス様粒子 DNA HPIV**3型ベクター VSV***ベクター |
GP, NP VP40/NP/GP GP, NP GP, NP GP |
非増殖性 非増殖性 非増殖性 増殖性 増殖性 |
100%(1回) 100%(複数回) 0~100%(複数回) 50%, 100%(1回) 100%(1回) |
抗体保有者の存在* 生産量、追加免疫 追加免疫、有効性? 抗体保有者の存在* 安全性 |
*アデノウイルスやヒトパラインフルエンザウイルスの抗体陽性者では、高濃度のワクチンを用いなければならない。
**ヒトパラインフルエンザウイルス
***水疱性口炎ウイルス(vesicular stomatitis virus)
これらのうち、ウイルス様粒子ワクチンについては48回で紹介した。ところが、WHOの専門家委員会が未承認ワクチンの使用を認める結論を受けて登場したのは水疱性口炎ウイルス(VSV)をベクターとしたワクチンだった。カナダ政府がこのワクチンを最大1000ドーズまで提供すると申し出たのである。
VSVをベクターに用いることに若干の疑問を持っていた私には意外に思われたが、あらためてこのワクチンに関する論文を調べてみた結果、かなりの進展があり、しかも、実験室事故例で研究者に投与されていた事実を初めて知った。安全性を除けば、有効性ではほかの候補ワクチンよりも利点があるとみなせる。このワクチンの特徴を簡単に整理してみる。
エボラVSVベクターワクチン
ベクターワクチンとは、弱毒ウイルスや弱毒細菌(たとえばBCG)をワクチン遺伝子のベクター(運び屋)として用いるものである。動物ではすでに用いられていて、代表的なものとして、天然痘ワクチン(ワクチニアウイルス)に狂犬病ウイルスの糖タンパク質を発現させた狂犬病ベクターワクチンがある。人では、エイズワクチンなど開発中のものは多いが、これまでに承認されたベクターワクチンはない3。
エボラワクチンのベクターに用いられているVSVは、牛、馬、豚などの水疱性口炎の病原体である。水疱性口炎は家畜伝染病予防法で監視伝染病に指定されており、VSVの所持は届け出が義務付けられている。国際獣疫事務局(OIE)では国際的に監視対象の伝染病疾病としている。人では畜産農家や獣医師が感染し、多くは無症状だが、稀に発熱、悪寒、筋肉痛など、インフルエンザのような症状が出て、7ないし10日で回復する。今回のエボラベクターワクチンは論文のタイトルで弱毒ワクチンと言われているが、これは人での毒性のことで、家畜に対するものではない。このようなウイルスをベクターとしたことに私は疑問を感じており、米国の獣医学者に尋ねたところ、ワクチン開発者はこのような規則があることを知らないのだろうというメールが送られてきた。実際に、今年の七月末にはテキサスとコロラドで水疱性口炎が馬で発生し、農務省は制圧に乗り出している。
VSVは種々の動物由来の細胞で良く増殖することから、ウイルス学ではインターフェロンの力価測定に古くから用いられてきた。非常に使いやすいウイルスであり、安全性に関わる問題を除けば、ベクターとしていくつかの利点を持っている。エボラVSVベクターワクチンの開発を担当している米国のプロフェクタス・バイオサイエンス(Profectus BioSciences)社は、VSVベクターを用いたワクチンをほかのウイルス感染症に対しても開発を行っており、最近ではHIV(ヒト免疫不全ウイルス)に対するベクターワクチンの第1相臨床試験を終えている。
エボラウイルスはマールブルグウイルス(MARV)とともにフィロウイルス科に分類されている。ベクターワクチンはVSVのG遺伝子を、エボラウイルスのスーダン株(SEBOV)、ザイール株(ZEBOV)、コートジボアール株(CIEBOV)、またはMARVのGP遺伝子と置き換えたものである。
このベクターワクチンの有効性を11頭のカニクイザルで調べた試験の成績が2009年に発表されている4。ZEBOV, SEBOV, CIEBOV, MARVのベクターワクチンを混合したものを筋肉内に接種し、4週間後にそれぞれのウイルス株で攻撃接種した結果、すべてのサルが生き残り、防御効果が確かめられた。
エボラウイルス感染後のワクチン接種の効果はマウス、モルモット、アカゲザルで調べられている。エボラウイルス接種24時間後にワクチン接種を行った場合、マウスでは50%が生き残り、モルモットは100%生き残っていた。アカゲザルではウイルス接種20〜30分後にワクチン接種することで生き残った。この結果は、実験室感染、流行時の二次感染、またはバイオテロの際に期待できるとされている5。
2009年にドイツ・ハンブルクのレベル4実験室で、動物実験の際に針刺し事故が起きた6。注射器にはザイール株ウイルスが含まれていた。エボラウイルスの実験室事故はそれまでに2回起きていた。最初は48回記事で紹介した英国の例で、これは治療により回復した。次は2004年にロシアで起きたもので死亡している。
今回は、VSVベクターワクチンが接種されることになり、インフォームドコンセント(説明と同意)が行われた。主な内容は、ワクチンの製造法の説明、それまでに免疫不全のサルを含む約80頭のサルに接種されて副作用は見られていないこと、しかし、人に接種したことはないので人でのデータはないことなどである。
事故48時間後にワクチン接種が行われた。12時間後に発熱し、血液中にワクチンウイルスの遺伝子が検出され、ワクチンウイルスの血中での増殖が確認された。それ以外、患者に異常はなく、3週間後に退院した。
患者がエボラウイルスに感染していたかどうかは分からなかった。血液検査の結果から、感染していなかった可能性が高いと考えられたが、ワクチンがウイルスの増殖を抑制した可能性も否定はできないとされた。
文献
1. Sullivan, N.J. & Nabel, C.J.: Ebola vaccines. In Vaccines (5th Ed). Plotkin, S., Orenstein, W., Offit, P. (eds), Elsevier-Saunders, p. 1176, 2008.
2. Geisbert, T.W. & Feldman, H.: Recombinant vescicular stomatitis virus-based vaccines against Ebola and Marburg virus infections. J. Infect. Dis., 204, S1075-S1081, 2011.
3. 山内一也、三瀬勝利:ワクチン学。岩波書店、2014.
4. Gesibert, T.W., Geisbert, J.B., Leung, A. et al.: Single-injection vaccine protects nonhuman primates against infection with Marburg virus and three species of Ebola virus. J. Virol., 83, 7296-7304, 2009.
5. Feldmann, H., Jones, S.M., Daddario-Dicaprio, K.M. et al. Effective post- exposure treatment of Ebola infection. PLoS Pathog, 3:e2, 2007. 6. Gunther, S., Feldman, H., Geisbert, T.W. et al.: Management of an accidental exposure to Ebola virus in the biosafety level 4 laboratory, Hamburg, Germany. J. Infect. Dis., 204, S785-S790, 2011.