3.「動物バイオテクノロジー進展の背景」

動物の乳で医薬品を生産する動物工場およびブタの臓器を利用する異種移植といった、医療分野へ家畜を利用する動物バイオテクノロジーが急速に進んでいる。いずれも英国が世界をリードしている領域である。その背景が最近出版された単行本 ”The Second Creation”(第二の創造物)で、クローンヒツジを作出したロスリン研究所のイアン・ウイルムットとキース・キャンベルにより生々しく語られている。非常に興味深い内容なので、簡単に紹介したい。

1970年代半ば、ウイルムットはケンブリッジにある農業研究協議会(ARC)繁殖生理学・生化学研究所で、ウシ精子凍結で有名なクリス・ポルジの指導のもと、世界で初めてのウシ凍結受精卵由来産子の作出に成功した。その後、エジンバラの動物生理学遺伝学研究所(ロスリン研究所の前身)に移って繁殖生理学の研究を続けていたところ、1980年代、サッチャー政権の政策変更により大きな転機がもたらされた。国の研究所に対して基礎研究だけでなく、民間との協力が求められたのである。

すでに設立されていたベンチャーのPPL社と協力して動物工場の計画がとりあげられ、フランスのトランスジーン社から分子生物学者が顧問として招かれた。ここは組換え狂犬病ワクチンを開発したところである。当初はニワトリの卵での医薬品生産が検討されたが、技術的に困難であったためにヒツジに変えられた。ウイルムットには胚を供給する役割が与えられた。その結果、1990年には第一号の動物工場であるヒツジのトレイシーが生まれた。トレイシーの子孫が生産する嚢胞性線維腫症の治療薬α1アンチトリプシンは現在、臨床試験に入っている。

1頭のヒツジから1個の胚しか供給できないという非効率的な状況を打開する方策として、ウイルムットは、胚細胞を培養してクローンヒツジを作出することを思いついた。実際に研究を進めるうちに、もっとも重要な点は細胞の周期であることに気が付き、その専門家であるキャンベルをポスドクとして採用した。彼は、かって博士課程に入る前に癌の研究を行ったことがあり、癌細胞がいろいろな種類の細胞に分化することに気が付いていた。一度、分化した細胞はふたたび分化することはないという、それまでのドグマに疑問を抱いていたのである。ウイルムットのチームに加わり、それまでの酵母とツメガエルを対象とした細胞周期に関する研究を哺乳類に展開することになった。このドグマへの挑戦の結果として生まれたのがドリーである。

一方、ポルジは1980年代にAnimal Biotechnology Cambridge (ABC)というベンチャーを設立していた。ケンブリッジ大学のデイヴィッド・ホワイトが異種移植のためのベンチャー、イムトラン社を1990年代初めに設立した際に、ブタへの遺伝子導入はABC社が受け持った。ABC社はその後、イムトラン社に吸収された。

英国が動物バイオテクノロジー推進の中心になっているには、それなりの背景があったのである。

付記

これは私の勤務する日本生物科学研究所が隔月に発行している日生研たよりの巻頭言として書いたものです。字数が限られているので、補足解説をしたいと思います。

内容は今年ファラー・ストラウス・ジローFarrar, Straus, Giroux社から出版された単行本”The Second Creation: Dolly and the Age of Biological Control” (仮訳:第2の創造物、ドリーと生物学的制御の時代)にもとづいたものです。本書の著者はクローン羊ドリーを作出したイアン・ウイルムットIan Wilmutとキース・キャンベルKeith Campbell、および専門のライターであるコリン・タッジColin Tudgeの3名です。コリン・タッジはケンブリッジ大学で動物学を専攻したのち、作家になった人です。

本書はクローン技術が生まれるまでの背景をウイルムットとキャンベルがくわしく語ったもので、それにタッジが解説やまとめを行う形式になっています。ドリーに関してはニューヨークタイムズ紙の有能な記者であるジーナ・コラータGina KolataによるClone: The Road to Dolly and the Path Ahead(日本語訳も出ていますが、題名は知りません)が1998年に出版されています。Cloneではジャーナリストの視点からドリー誕生までの経緯が紹介されていますが、The Second Creationでは当事者による物語であるだけに迫力、説得力に満ちています。しかもプロの作家がついているため、読みやすい物語になっています。この中から英国での動物バイオテクノロジーの進展の歴史を簡単に整理したのが、この巻頭言です。

大変興味をひかれたのは受精卵凍結の技術を産み出したクリス・ポルジにはじまる人的つながりです。巻頭言の内容と幾分重複するところもありますが、簡単に整理してみます。

ウイルムットはノッティンガム大学を卒業し、ARC (Agricultural Research Council:農業研究協議会)のUnit of Reproductive Physiology and Biochemistry(繁殖生理学・生化学ユニット)でポルジの指導のもと博士課程の研究を始め1971年にケンブリッジ大学でPh.D.を授与されました。ポスドクとしてのウイルムットは凍結受精卵からのウシの子(フロスティーFrostieと命名)の出産に世界で初めて成功しました。その後、同じARC傘下のAnimal Breeding Organisation(ABRO)にポスドクとして勤務することになりました。なお、ABROは1986年にAFRC (Agricultural and Food Research Council:農業食糧研究協議会)のPoultry Research Centre(家禽研究センター)と合併してInstitute of Animal Physiology and Genetics Research (動物生理学遺伝学研究所)になり、これが1993年にロスリン研究所と改称されています。

ウイルムットの後にはデンマーク生まれのスティーン・ウイラードセンSteen Wiladsenがポスドクとしてポルジのもとで受精卵分割によるクローニングの研究を開始しました。ウイラードセンは1979年に2細胞期の羊の胚を分割することによる双子の羊の作出を発表し、1985年には羊での核移植に世界で初めて成功しています。

1頭の羊から1個の受精卵しかとれないという非効率的な状況を打開する方策を考えていたウイルムットは彼の後輩のウイラードセンが受精卵細胞を培養したのち、それを核移植することによりクローン羊の作出に成功したことを知り、受精卵細胞の培養によるクローン羊作出を始めたのです。

クローニングの研究を始めて細胞周期が重要な問題であることに気がついたウイルムットは、その分野の専門家であるキース・キャンベルをポスドクに採用しました。

キャンベルが「一度、分化した細胞はふたたび分化することはない」というドグマに疑問を抱いたきっかけはふたつありました。ひとつは、博士課程の最初をマリー・キュリー記念財団でガンの研究に従事した際に、腫瘍組織を開いてみると髪の毛、爪、骨、脂肪、筋肉など、さまざまな組織がみつかることでした。もうひとつは、カール・イルメンゼーKarl Ilmenseeとの出会いでした。イルメンゼーは1981年にマウスでの処女生殖の論文を発表して大きな議論を巻き起こした人です。有名な生殖生物学者が追試を行い、単純な核移植でマウスのクローニングは不可能と発表し、イルメンゼーの仕事は葬りさられてしまいました(ドリーに続いてマウスでも核移植によるクローニングがハワイ大学の若山博士らにより成功しているのは周知のとおりです)。キャンベルはイルメンゼーの講義を1984年に聞いて非常に感銘を受け、このきっかけがなければクローニングの領域に入ることはなかっただろうと述べています。

日生研たより、46巻5号、(2000年9月に掲載)