4.「動物バイオテクノロジーと動物実験」

家畜における生殖工学は、これまで人における生殖医療の基盤技術として利用され、畜産学と医学との接点ともなってきている。1980年代、生殖工学に遺伝子工学が導入されたことで、動物バイオテクノロジーは医学の分野で、さらに大きな役割を果たすことが期待されるようになった。すなわち、動物工場と異種移植である。これらはマイクロインジェクションによるトランスジェニック家畜の作出が基本技術となっている。これに加えて、体細胞クローニング技術の応用により、動物バイオテクノロジーは新しい展開をしようとしている。この現状とそれにかかわる問題について解説を試みる。

1.動物工場

動物工場は、医薬品蛋白の遺伝子を家畜の乳腺で発現させ、乳の中に医薬品蛋白を産生させる技術である。これまで組換え医薬品は大腸菌、酵母、哺乳動物細胞などを用いて行われてきた。これらの既存の技術とくらべると、動物工場では非常に高い発現量が得られることが大きな利点である。たとえば、哺乳動物細胞であるCHO細胞での蛋白発現量は0.01~0.05ug/ml、もっとも高い発現量が得られるバキュロウイルスベクターによる昆虫細胞で1,000ug/mlであるのに対して、家畜の乳腺では15,000ug /mlと比べものにならない高い発現量が得られる。その結果、安価で大量の医薬品が生産できるのである。
動物工場での動物実験の主体、はヒツジ、ヤギ、ウシ、ブタなど医薬品生産の場となる家畜である。しかし、予備試験の段階では、トランスジェニックマウスでの導入遺伝子の有効性確認が必要である。予備試験でのマウスと生産段階でのヤギの特徴を比較してみると、マウスは約1ヶ月で性成熟、妊娠期間は3週間で、通常、10匹の産子が得られる。Tgマウスの生まれる割合は10~25%であって、泌乳期間中の乳の量は1.5mlである。一方、ヤギでは性成熟までに8ヶ月、妊娠期間は5ヶ月で通常、2頭の産子が得られる。Tgマウスの生まれる割合は5~10%、乳の年間産生量は800リットルに達する。したがって、まずマウスでの予備試験が不可欠となる。
動物工場では、蛋白遺伝子の発現の場が乳腺に変えられただけであって、微生物学的品質管理は基本的にはワクチンなどの生物製剤の場合と同じである。現在、ヒツジで作られたα1アンチトリプシンとヤギで作られたアンチトロンビンは現在臨床試験に入っている。
今後、大きな期待がかけられているのは、大量の供給が求められている各種の血液製剤である。現在、人血液から製造されている血液製剤の場合、肝炎ウイルス、ヒト免疫不全ウイルスなど人由来のウイルスによる汚染を防ぐ必要がある。さらに、原材料としての血液の確保には限界がある。動物工場ではこれらの問題が解決されることが期待されているのである。

2.異種移植

シクロスポリンなど効果的な免疫抑制剤の開発により、臓器移植は確立された医療技術となった。それとともに、ドナー臓器の不足が深刻な問題になってきた。たとえば、米国で実施されている臓器移植は年間1万例、それに対して移植待機患者数は6万人に達している。日本での腎臓移植を見ると、年間1000例以下の移植に対して、待機患者数は15,000人である。全世界での移植待機患者数は10万人に達すると推定されている。
この臓器不足の根本的解決策として取り上げられてきたのが、動物の臓器を人の臓器の代わりに利用する異種移植である。
候補となったのはヒヒとブタである。しかし、ヒヒの場合、人に近縁という利点はあるものの、危険な微生物汚染の可能性のあること、さらに供給数はきわめて限られていて臓器不足の解決にならないことから、不適当と判断されている。
一方、ブタは解剖学的、生理学的な特性がヒトに似ていること、供給数が十分であること、微生物学的品質管理が可能であることなどから、最適とみなされている。
現在、異種移植として検討されているのは、臓器および細胞の利用である。臓器では心臓、腎臓の移植、および腎臓と肝臓による体外灌流である。一方、細胞ではブタ胎児の脳細胞の移植によるパーキンソン病の治療、膵臓細胞の移植による糖尿病の治療、肝臓細胞による体外灌流である。細胞移植の一部はすでに人で臨床試験が行われている。
異種移植の実用化に向けての技術的問題としては、代替臓器としての有効性と微生物学的安全性がある。
有効性の面では拒絶反応の阻止と、移植臓器の生理学的機能が問題になる。現時点では前者の検討が行われており、後者はこれからの問題である。
ブタの臓器の移植では移植直後に起こる超急性拒絶反応の回避がまず、最大の問題となる。超急性拒絶反応はブタの血管内皮細胞に存在するαガラクトース抗原に対して、人の血清中に存在する自然抗体と補体が引き起こすものである。この反応を回避するために、人の補体制御蛋白遺伝子Decay accelerating facto (DAF)を導入したブタが作出された。
αガラクトース抗原を持たない哺乳動物は霊長類のみであるため、臓器の生着のための免疫抑制条件の検討などの基礎的検討にはサルが重要な実験動物であり、カニクイザルとヒヒでの実験が活発に行われている。DAF導入ブタの腎臓の移植実験(1)では9頭中4頭が50日以上生存し、最長は78日生存している。すべての例で超急性拒絶反応は回避されている。続いて起こる急性血管性拒絶反応もある程度回避されている傾向が見られたが、まだ臨床試験に入りうる段階とは見なされていない。急性血管性拒絶反応の回避が現時点での最大の問題といえる。
異種移植に用いられる臓器、組織、細胞は、欧米の指針では異種移植製剤xenotransplantation productと呼ばれており、生物製剤としての微生物学的品質管理が重要な課題となる(2)
まず、初代ブタの作出は子宮切断または帝王切開で取り出し、アイソレーター内で飼育する。これは2~8週間でそれ以後はバリアー施設で飼育する。この期間は動物福祉の観点から受け入れられる限界とされている。
供給源ブタはバリアー施設内で飼育し、牛乳由来のラクトース以外は、哺乳動物と魚由来の蛋白を餌として与えてはいけない。これはウシ海綿状脳症のようなプリオン病感染防止のためである。餌は滅菌し、飲み水はフィルターにより濾過滅菌したものを用いる。
作業にかかわる人間が、たとえばインフルエンザウイルスなどを持ち込まないようにするために、作業員の健康管理も重要な問題となる。
もっとも重要な点はブタについての微生物学的品質管理である。これはワクチンなどの生物製剤と同様の基本原則にもとづく。しかし、臓器の場合には最終製品についての品質管理は実施がきわめて困難である。そのために同腹のブタについての試験にかなり依存しなければならない。
1960年代からブタではSPF化が普及してきており、家畜ではもっとも微生物学的品質管理が進んでいるとみなせる。異種移植用としては、基本的には考えられる病原微生物のほとんどを排除することが必要となるであろう。これにはウイルス、細菌、カビ、寄生虫が含まれ、それらについての総合的なリストも提示されている(3)
これら病原体の大部分は微生物学的モニタリングとバリアー飼育により排除することが可能と考えられる。
しかし、ブタ内在性レトロウイルスPorcine endogenous retrovirus (PERV)は染色体に組み込まれているため、将来的には体細胞クローニングによりPERV遺伝子ノックアウトブタの作出も考えられるが、現在の技術では排除は不可能である。
PERVでは現在3種類のタイプのものが見いだされており、そのあるものはin vitroでヒト培養細胞株に感染することが報告されている。そこで、ヒトへの感染の危険性もありうるといいうことで大きな論議を呼んでいる。ブタ臓器が移植された人に感染し、それが医療従事者や家族に感染を起こし、極端な場合には社会にまで広がるおそれはないかという点である。
最終的に人への感染性を評価するには人でなければ行うことができない。したがってリスクのあることを前提とした臨床試験が必要となる。この場合、リスク評価とリスク管理が非常に重要となり、そのための動物モデルの確立が求められている。
一方、臨床試験におけるリスク管理は国レベル、さらには国際的レベルで必要と考えられている。その観点から英国と米国では、異種移植の臨床試験に関する指針が作成され、WHOでは、国際的サーベイランスに関するガイダンス案が作成されている。

3.動物福祉

動物バイオテクノロジーは動物福祉に関連した新しい問題も提起している。日本では動物福祉に関する認識は医学領域では1980年代から普及してきているが、畜産・獣医学領域ではかなり遅れている。動物バイオテクノロジーでは家畜が実験動物となり、これは医学領域でもっとも多く用いられているマウス、ラットなどとは異なる側面を有する。
トランスジェニック動物の作出、維持は組換えDNA 実験指針に準じて行うことになっているが、我が国の組換えDNA実験指針では家畜についての配慮はほとんどなされていない。また、現実対応ではマウスと同様の封じ込めが要求されているのが現状である。そこに動物福祉に対する配慮は皆無といってよい。
動物バイオテクノロジーの進展は、家畜を実験動物として用いる新しい観点を提示している。日本では明治維新まで動物としては家畜、野生動物、愛玩動物のみが存在していた。実験動物は明治維新後に欧米から輸入されたものであり、西欧文明とともに無条件に受け入れられてきた。古代から我々の生活に深く関わってきている家畜を実験動物とした場合、欧米の動物観をそのまま適用できるかどうか、改めて考えてみる必要があると思われる。

文献

(1) Cozzi, E. et al.: Long-term survival of nonhuman primates receiving life-supporting transgenic porcine kidney xenografts. Transplantation, 70, 15-21, 2000.

(2) Yamanouchi, K.: Potential risk of xenotransplant-associated infections. Transplantation Proc., 32, 1155-1156, 2000.

(3) Onions, D. et al.: An approach to the control of disease transmission in pig-to-human xenotransplantation. Xenotransplantation, 7, 143-155, 2000.