口蹄疫ウイルスは連載2で述べたように最初に発見されたウイルスです。ウイルス発見から間もなく、1922年にフランスのヴァレー(Vallee, H.)とカレー(Carre, H.)が、オアーズ(Oise)地方で分離されたウイルスがドイツのウイルスとは異なることを見いだし、前者をオアーズの頭文字をとってO型、ドイツのウイルスをフランス語のドイツ(Allemagne)の頭文字をとってA型と命名しました。1926年にはフリードリヒ・レフラー研究所のオットー・ヴァルトマン(Otto Waldmann)たちがこの結果を確認し、A型、B型と命名し直し、さらに彼らは第3のタイプを見つけC型と呼びました。しかし、最終的にはフランス研究者の命名を尊重してO, A, Cという名前に落ち着いたのです。その後、南アフリカで3つのタイプ、SAT1, SAT2, SAT3(SAT: Southern African Territories)が見つかり、次いで1954年にパキスタンで分離されたウイルスが別のタイプとしてAsia 1と命名されて、現在7つの血清型に分けられています。IAHパーブライト研究所の世界口蹄疫レファレンスセンターが全世界にわたって調査した結果、これら以外のタイプのウイルスは見つかっておらず、これ以上新しいタイプが見つかることはないと考えられています。この7つの血清型の下に多くのサブタイプがあります。
口蹄疫ウイルスは現在、国際ウイルス分類委員会によりピコルナウイルス(picornavirus)科アフトウイルス(aphthovirus)属に分類されています。サイズは約20ナノメートル(ナノは10億分の1)と、もっとも小型のRNAウイルスのひとつです。ピコ(pico)はピコグラムと同様に小さいという意味、ルナはRNAです。アフトはギリシア語のアフタ(aphthae)に由来し、「口の水疱」の意味です。同じピコルナウイルス科のエンテロウイルス(enterovirus)属にはポリオウイルスがあります。エンテロはギリシア語の腸の意味です。エンテロウイルス属には人で手足口病を起こす一群のウイルス(主にエンテロウイルス71)もあります。これは名前の通り手、足、口に水疱ができる病気で、人で口蹄疫ウイルス感染が疑われた例の中には、このウイルスによるものも含まれていると推測されています。
ピコルナウイルス科のウイルスは遺伝子情報を担うRNAがタンパク質の殻(キャプシド)に包まれた粒子です。一方、麻疹ウイルスなどはキャプシドの周りに皮膜(エンベロープ)があります。ピコルナウイルスはいわば裸の粒子です。細胞の中に「侵入」する仕組みも麻疹ウイルスなどエンベロープウイルスとは違っています。細胞に侵入する際には、ピコルナウイルスはエンドサイトーシスと呼ばれるメカニズムで直接、細胞の中に飲み込まれ、そこでキャプシドが脱ぎ捨てられ(脱核)、ウイルスRNAが露出されます。一方、麻疹ウイルスはエンベロープが細胞膜と融合することによりキャプシド内のウイルスRNAが露出されて細胞内に入りこみます。子ウイルスが「放出」されるメカニズムも違います。ピコルナウイルスは完全な形のウイルス粒子が細胞内で完成され、細胞を「破裂」させて飛び出します。麻疹ウイルスは細胞から放出される際に細胞膜の一部を取り込んでエンベロープに包まれた形で飛び出します。これは「出芽」と呼ばれています。細胞を破裂させるような激しい放出ではありません。
口蹄疫ウイルスとポリオウイルスは増殖の仕組みなど分子生物学の性状で非常によく似ていますが、まったく異なる面もあります。たとえば、口蹄疫ウイルスは酸に弱くpH 6.5以下では容易に死滅します。一方、ポリオウイルスは酸に非常に強いという特徴があります。口蹄疫ウイルスは主に呼吸器粘膜から侵入しますが、ポリオウイルスは口から入って胃を通過して腸粘膜から侵入します。そのために、胃酸に耐えなければならないのです。 口蹄疫ウイルスの分子生物学を進展させたのは英国の化学者フレッド・ブラウン(Fred Brown)です。彼は1964年には英国動物衛生研究所生化学部長となり、IAHパーブライト研究所で口蹄疫ウイルスの研究を行い、口蹄疫ウイルスの化学構造を明らかにし、増殖の仕組みについても貴重な成果を発表してきました。もっとも有名なのは1989年に発表したX線回析による口蹄疫ウイルスの立体構造です(1)。
1981 年には王立協会(17世紀に設立された世界最古の科学会でニュートンが会長をつとめたこともあります)の会員になっています。ワクチンの分野でも大きな貢献をしていますが、それらについてはワクチンの項目で述べたいと思います。
彼の努力により動物衛生研究所は口蹄疫ウイルスの基礎から疫学にわたる幅広い領域の研究の世界的中心になったのです。なお、同じように、口蹄疫以上に世界をゆるがせてきた牛疫の分子生物学を進展させIAHパーブライト研究所を世界の牛疫研究の中心に成長させたのは、彼の後を継いだブライアン・マーヒー(Brian Mahy)でした。彼はIAHパーブライト研究所の後、米国CDCでウイルス・リケッチア部門長として数々のエマージングウイルス対策のリーダーを務めてきました。
写真は1989年のウイルス発見100周年記念シンポジウム(連載2)の際のパーティでブラウンとマーヒーが並んでいるところです。(写真:右がブラウン、左がマーヒー、山内撮影)
2003年にブラウンは口蹄疫研究の歴史を簡潔に整理した論文を発表し(2)、その翌年79歳で亡くなりました。
文献
(1) Acharya, R., Fry, E., Stuart, D., Fox, G., Rowlands, D. & Brown, F.: The 3-dimensional structure of foot-and-mouth disease virus at 2.9-a resolution. Nature 337, 709-716, 1989.
(2) Brown, F.: The history of research in foot-and-mouth disease. Virus Res., 91, 3-7, 2003.