21世紀初頭から世界的に百日咳の再興が認められ、その原因のひとつとして、ワクチンの免疫効果の持続が短いことが推測されている。最近、遺伝子工学により弱毒化された百日咳菌を用いた生ワクチンがフランスで開発され、第2相臨床試験に加えて、ヒトチャレンジ試験でも効果が調べられている。
ウイルスでは多くの生ワクチンが存在するが、細菌では現在承認されている生ワクチンは、1921年に開発された結核予防のためのBCGだけである。100年後に、最先端技術で百日咳の生ワクチンが生まれようとしている。
百日咳ワクチンの歴史を振り返り、現状を眺めてみる。
百日咳菌の発見
ジュール・ボルデ(Jules Bordet)は、1854年ベルギーのブリュッセル医科大学を卒業してパスツール研究所のメチニコフ研究室で免疫学の研究を行っていた。1900年、ボルデの5ヶ月令の娘が百日咳にかかった。彼は義弟のオクターブ・ジャングー(Octave Gengou)とともに、彼女の痰の中に小さな卵の形をしたグラム陰性菌を発見した。しかし、菌の分離はできなかった。
1901年、ボルデはベルギーに戻り、ブリュッセルにブラバント(Brabant)・パスツール研究所を設立した。1906年、今度は息子のポールが百日咳にかかり、彼はジャングーとともに、独自の培地(BG培地)を開発して、原因菌の分離に成功した。この菌はボルデの名前をとって、ボルデテラ・パートュッシス(Bordetella pertussis)と名付けられている。Pertussisは現代ラテン語で「激しい咳」を意味する。(1)
なお、ボルデは免疫反応に関する研究(補体の発見)で1919年ノーベル賞を受賞している。
初期の百日咳ワクチン
1913年、フランス保護領チュニジア(現・チュニジア共和国)のチュニスで百日咳が流行した。その際、チュニス・パスツール研究所長のシャルル・ニコルはボルデ菌を加熱(46℃、30分)したワクチンを調製し、それによる治療を試みた。この加熱条件では菌は生きていた。おそらく、弱毒ワクチンを推奨していたパスツールにならったものと推測される。このワクチンを百日咳にかかっていた子供104人の静脈内または皮下に接種した結果、完治が37人、咳の発作の改善が40人、合わせて74%に効果が見られたことがフランス科学アカデミーで報告された。(2)
その後、いくつかのワクチンが開発されたが、1931年アメリカ医師会の薬学・化学評議会は、当時市販されていた百日咳ワクチンすべてについて、予防効果が見られないとして、許可を取り消した。
全菌体不活化ワクチン(第1世代)
1933年、ミシガン州立研究所のパール・ケンドリック(Pearl Kendrick)とグレイス・エルダーリング(Grace Eldering)はホルマリン不活化ワクチンを開発して、約1600人を対象として、712人にワクチンを接種し、880人を対照とした臨床試験を行った。ワクチン接種群では4人が軽い百日咳にかかり、対照群では63人が典型的な百日咳の症状で発病した。これは、臨床試験の方式が確立する以前における最初の大規模試験となった。この試験で、彼女らのワクチンでは89%の有効性が示されたのだが、公衆衛生専門家たちはこの成績を信じなかった。(3)
1936年ファースト・レディーのエレノア・ルーズベルトが研究室を訪問したことが転機となった。予算支援を受けて、約4200人を対象とした野外試験が行われ、ワクチン接種グループでは発病率が対象グループより著しく低い結果が得られた。1943年、米国小児科協会はこのワクチンの使用を許可し、翌年、米国医学協会がワクチンを推薦した。ワクチン接種が始まって10年の間に米国での百日咳の発生は半減し、死亡は、1934年の7518人に対して1970年代初めには10人に低下した。(4)
日本で開発された無細胞成分ワクチン(第2世代)
日本では戦後まもなく1949年から全菌体不活化ワクチンが導入され、1958年にはジフテリアトキソイドワクチンを加えたDP2種混合ワクチン、1964年からは破傷風トキソイドが加わってDPT3種混合ワクチンとして全国的に用いられた。その結果、1972年には百日咳患者の発生は激減した。一方で、百日咳ワクチンによる局所の腫れや痛みだけでなく全身反応や稀に脳障害を引き起こす強い副反応が問題になった。1975年には2名の死亡例が起きて一時接種が中断された。海外でも接種を中断する国が出た。
国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の佐藤勇治らは、ワクチンとして有効な菌体成分として、百日咳毒素(PTX)と繊維状赤血球凝集素(FHA)を分離精製し、ホルマリン処理でPTXを無毒化した後、アジュバント(免疫強化補助剤)として水酸化アルミニウムを加えた無細胞成分ワクチンを開発した。
約5000名の子供での臨床試験の後、1981年、無細胞成分ワクチンの使用が開始された。1991年米国では全菌体ワクチンの接種後、4ないし5回目の追加接種に無細胞成分ワクチンが使用されることになり、1996年からはすべての接種で無細胞成分ワクチンが用いられている。現在、米国のほかに、ヨーロッパ諸国、カナダ、オーストラリアなどでも無細胞成分ワクチンが用いられている。(5)
無細胞成分ワクチンは百日咳菌の鼻咽頭粘膜への定着は阻止できない。菌からの毒素の分泌を抑えて症状の発現を阻止していると考えられている。
現在の問題
2000年代初め頃から、ワクチン接種が普及しているにも関わらず欧米や日本で百日咳の患者が増加し始めた。急激な増加には、PCR検査の導入や診断技術の向上で検出されやすくなった可能性や無細胞成分ワクチンの導入が関わっている説などが提唱されてきた。しかし、2018年米国マサチューセッツ州で行われた調査結果では、患者の増加は無細胞成分ワクチンへの切り替えやPCR検査の導入の前から始まっていて、ワクチンによる菌の広がりの抑制が不十分であり、またワクチンの防御効果が徐々に低下していることが指摘された。(6)
百日咳菌による咳や白血球増加症が再現されるヒヒでの実験では、子供のヒヒ(2ヶ月令、4ヶ月令、6ヶ月令)に全菌体ワクチンまたは無細胞成分ワクチンで免疫した後に百日咳菌で攻撃を行った結果、両ワクチンとも白血球数の増加や咳を阻止したが、菌の増殖は阻止できず鼻腔洗浄液から菌が検出された。ただ、菌数の減少は無細胞成分ワクチン免疫では全菌体ワクチンよりも遅かった。また、無細胞成分ワクチンの実験では、ワクチン接種後のヒヒから未感染のヒヒに同居感染が起きていた(7 )。この結果から、ワクチン接種を受けた子供が無症状または軽症の保菌者として、感染を広げている可能性が示唆されている。
弱毒生BPZE1ワクチンの開発(第3世代)
百日咳菌に自然感染した場合には粘膜抗体(IgA)と血清抗体(IgG)による強い免疫が長期間続くと推測されている。生ワクチンを鼻から投与すれば、自然感染に近い状態が得られることが期待される。このような視点で開発が進められているワクチンとして、フランス、リールのパスツール研究所のカミーユ・ロクト(Camille Locht)らによる弱毒生ワクチンBPZE1がある。
BPZE1ワクチンは、百日咳菌の遺伝子のうち、毒性を担う気管上皮細胞毒素(TCT)、百日咳毒素(PTX)、皮膚壊死毒素(DNT)の遺伝子を除去または改変して弱毒化したものである。マウスへの鼻腔内接種での試験で安全性と遺伝的安定性が確認されたのち、スウェーデンで最初の臨床試験が行われた。スウェーデンでは1979年から1991年の間、百日咳ワクチン接種が全面的に中止されていて、この期間に生まれた19歳から31歳の成人で行われた。その結果、成人での安全性が確かめられ、鼻腔粘膜への菌の一過性の定着・増殖に続いて免疫の成立が認められた。(8)
第2相臨床試験は、2019年米国で、イリアド・バイオテクノロジー社(ILiAD Biotechnologies)により280名の成人について行われた。この試験では安全性と抗体産生について検討された。粘膜からは分泌IgA抗体は安定的に産生され、問題になるような副反応は見られなかった。(9)
イリアド・バイオテクノロジー社は、別の第2相臨床試験として、ヒトチャレンジ試験を英国サザンプトン大学とオックスフォード大学で、99名のボランティアで実施した。ヒトチャレンジ試験は、本連載(127回、145回)で紹介したように開発中のインフルエンザワクチンや新型コロナワクチンなど、ウイルスワクチンの開発で試みられているが、細菌ワクチンでは初めての報告である。
被験者はBPZE1ワクチンの接種後2-4ヶ月後に、大学の隔離病棟で野生型の百日咳菌による攻撃接種を受け、16日間入院して鼻粘膜と血液のサンプルが採取された。その結果、菌の定着は見られず、ワクチンが強毒菌を防御したことが確認された。被験者たちは、退院時に抗菌物質の投与を受けた。(10)
BPZE1ワクチンは、注射ではなく鼻腔内接種のため、より安全かつ容易に投与できる。現在開発中のワクチンは成人を対象としたもので、今後、乳幼児向けのワクチンの開発が検討されている。
文献
- Guiso, N.: Bordetella pertussis and Pertussis vaccines. Vaccines, 49, 1565-1569, 2009.
- Nicolle C., Conor A. : Vaccinothérapie dans le coqueluche. Comptes rendus de l’Academie des Sciences de Paris 1913;16:1849–51
- Conniff, R. : Ending Epidemics. A History of Escape from Contagion. The MIT Press, 2023.
- Marks, H. : The Kendrick-Eldering-(Frost) pertussis vaccine field trial. Journal of Royal Society of Medicine, 100, 242-247, 2007.
- 山内一也、三瀬勝利:ワクチン学、岩波書店
- De Celles, M. et al. : The impact of past vaccination coverage and immunity on pertussis resurgence. Science Translational Medicine, 10, eaaj1748, 2018.
- Warfel, J.M. et al.: Acellular pertussis vaccines protect against disease but fail to prevent infection and transmission in a nonhuman primate model. Proceedings of National Academy of Sciences, 111, 787-792, 2014.
- Thorstensson R. et al. (2014) A Phase I clinical study of a live attenuatedBordetella pertussis vaccine – BPZE1; A single centre, double-blind, placebo-controlled, dose-escalating study of BPZE1 given intranasally to healthy adult male volunteers. PLoS ONE,9(1): e83449. https://journals.plos.org/plosone/article?id=10.1371/journal.pone.0083449
- Keech, C. et al.: Immunogenicity and safety of BPZE1, an intranasal live attenuated pertussis vaccine, versus tetanus–diphtheria acellular pertussis vaccine: a randomised, double-blind, phase 2b trial. Lancet 401, 843-855, 2023.
- ILiAD Biotechnologies reports first-ever demonstration of protection against B. pertussis colonization in phase 2b human challenge study of BPZE1 vaccine. Sept 05, 2023. https://finance.yahoo.com/news/iliad-biotechnologies-reports-first-ever-130000966.html