BCGは市販されている細菌ワクチンの中で唯一の生ワクチンである。新型コロナウイルスではBCGの非特異的免疫増強が治療に効果があるとして、注目された。その歴史は100年前にさかのぼる古いワクチンで、日本では、赤痢菌の発見者である北里研究所の志賀潔が、1924年、国際赤痢血清委員会に出席するためにヨーロッパに出張した際、開発者であるカルメットから直接分与を受けて持ち帰ったTokyo 172株が用いられている。しかし、BCGがウシ用ワクチンとして開発され、それが人体用ワクチンとなった経緯はほとんど知られていない。開発者のカルメットの略歴とともに、開発の経緯を紹介する。
蛇毒抗血清の開発
アルベール・カルメット(Albert Calmette)(1863-1933)はフランスのニースで生まれた。海軍医学校で医学を学び、香港とアフリカでマラリアやアフリカ睡眠病などの研究に従事した。1890年、彼の能力を見込んだパスツールから、仏領インドシナのサイゴンにパスツール研究所の設立を任された。1891年、カルメットの元に14匹のコブラが樽に入れられて送られてきた。ちょうどエミール・フォン・ベーリング(Emile von Behring)と北里柴三郎がジフテリアと破傷風の血清療法を発表したところで、それにならって、早速、ウサギでコブラ毒抗血清の作成を始めた。1893年パリのパスツール研究所に呼び戻され、そこで最初のコブラ毒抗血清の開発に成功した。
カルメットは、1897年にはリールに設立されたパスツール研究所長に就任し、ウマの免疫によるコブラ毒抗血清の製造を始めた。アルフォール獣医大学を卒業したばかりのカミーユ・ゲラン(Camille Guérin)(1872-1961)がウマの飼育、免疫など動物実験を受け持った。これは、蛇毒の治療の世界を変えた画期的な成果となった。(1)
1900年当時におけるウシの結核をめぐる議論
1882年、結核菌の発見という偉業を成し遂げたロベルト・コッホ(Robert Koch)は、1901年ロンドンにおける国際結核会議でウシの結核はヒトには感染しないという爆弾宣言を行った。これに対して、マールブルグ大学のベーリングが真っ向から反対した。ベーリングはコッホの研究室で北里との研究でジフテリアの免疫療法を発見したのち、マールブルグ大学教授になりウシの結核の研究を行っていたのである。ベーリングは、この年、第一回ノーベル賞を受賞したが、受賞講演の半分はウシの結核予防に関するものだった。ウシ型結核菌がヒトに感染するかどうかは、長い間、国際的な議論になった。1908年北里に招かれて来日したコッホは途中で予定を繰り上げて、米国での国際結核会議に出席した。この会議でコッホの見解はほぼ否定された。
1903年ドイツのカッセルでの会議で、ベーリングは肺結核になるには最初子供の時期に腸管で結核に感染しなければならないという2段階説を提唱した。飛沫による呼吸器感染だけでは結核にならないと述べ、子供の主な感染源は牛乳であると主張した。この説に基づいた彼の戦略は、ウシを免疫することだった。これは、大きな経済的被害を与えているウシの結核の撲滅だけでなく、免疫したウシの乳に含まれる抗体が、牛乳を飲むことで幼児に伝達されて腸管感染を防ぐことを目的としていた。この受動免疫の発想は、パウル・エールリッヒ(Paul Ehrlich)が提唱した母乳を介した抗体伝達の考えに基づいていた。(2)
ウシの結核予防を目指したカルメットとゲラン
工業都市のリールでは人々の間で結核がまん延していた。周辺の農場の乳牛では30%以上が結核に感染していた。カルメットとゲランは、1902年頃には結核菌の動物実験を始めていた。カッセルでのベーリングの講演を聴いて、彼らはウシの結核予防を目指した。結核菌の培養条件を検討した結果、5%グリセリンを含むウシ胆汁に浸したジャガイモ片で培養する方法を考案した。
1908年1月8日、カルメットとゲランは、アルフォール獣医大学のエドモン・ノカール(Edmond Nocard)が結核性乳房炎のウシから分離した結核菌の培養を始めた。3週毎に植え継ぎを繰り返したところ、30代頃から毒性が低下し始め、モルモットなどを殺さなくなった。70代継代では、若いウシに100ミリグラムの結核菌を静脈注射しても発病しなくなった。通常の培養では3ミリグラムで28日から35日でウシを殺した。 (3, 4)
1918年、カルメットはパリのパスツール研究所副所長に任命された。翌年、ゲランもパリに戻っていた。1921年まで13年間、230代継代した培養は、モルモット、ウサギ、ウシのいずれにも毒性を示さなかった。フランス領ギニアのキンディア・パスツール研究所のウイルバート教授によるチンパンジーとヒヒでの試験でも毒性は見られなかった。
この弱毒菌はBilie Calmette-Guérin(カルメットとゲランの胆汁培養)を略してBCGと呼ばれた。しかしいつの間にかBCGは、Bacillus (細菌)of Calmette-Guérinの略称になった。
ヒトの結核予防のためのワクチンとなったBCG
1920年代、パリでの統計では結核患者の家で生まれた子供の結核による死亡率は24%に達していた。BCGのウシやサルでの成績に興味を抱いたふたりの小児科医、ベンジャミン・ヴェイユ-アレ(Weil-Hallé)とタルパン(Turpin)から、カルメットとゲランは、結核に感染するリスクの高い幼児での試験を提案された。カルメットとゲランは長い間、ためらっていたが、最終的に提案を受け入れた。1922年夏、ヴェイユ-アレとタルパンの責任の下、BCGのヒトでの最初の試験がシャリテ病院の産科病棟で開始された。
最初に選ばれた子供は、母親が出産後すぐに結核で死亡していて、結核で死亡する可能性が非常に高かった。BCG接種後、子供は健康に育った。ついで数人の子供に、母親の承諾を得て、BCGが接種された。BCGの効果を判断するために、試験は、長期間中断された後、1924年に再開された。
BCGは、2ミリグラムを生後3日目または5日目から1日おきに3回、授乳30分前に、温めた牛乳とともに飲ませた。再開後最初の試験では、217人の子供のうち、178人が経過観察され、18ヶ月で死亡率は5%で、この値は通常の死亡率よりも低かった。1924年から1927年に、結核感染リスクの高い環境で生まれた子供の死亡率は、BCG接種を受けた子供では3.4%と、受けなかった場合の15.9%よりも低かった。1927年から試験はフランス、イタリア、ギリシア、ルーマニア、アルジェリア、インドシナ、ウクライナで始められた。(5)
1928年、国際連盟はパリでBCGに関する会議を開き、BCGがヒトと動物に対して安全で、弱毒性も安定していると結論した。ところが、翌1929年から1933年にかけてドイツ北部のリューベック市でBCG接種を受けた251人の幼児のうち173人が結核を発病し72人が死亡するという、リューベック事件が起きた。これはリューベック市総合病院でBCGを調製した際にヒト型結核菌とBCGが同じふらん器で培養されていたため、誤ってヒト型結核菌が接種されたことによると判断された。この事件によりBCGの普及は遅滞した。
第2次世界大戦後、東欧諸国で800万人以上の子供に接種されてBCGの有効性と安全性が確かめられた。1974年、世界保健機関(WHO)は免疫拡大計画を発足させ、その中にBCGも含められた。2024年は50周年にあたる。
21世紀のゲノム時代、BCGの弱毒性の主な機構は継代中に起きた遺伝子欠損と考えられている。ウシ型結核菌と比べて、BCGでは、RD1と名付けられた9454塩基対の領域が欠けている。RD1は肺細胞の融解に関わることから、この領域の欠損によりBCGは肺の間質組織への侵入性が低下していると推測されている。(6)
前回(165回)の本連載で紹介した、臨床試験中の百日咳ワクチンBPZE1も、BCGと同様に、リール・パスツール研究所で開発された弱生ワクチンである。いずれも、弱毒生ワクチンの提唱者であったパスツールの遺産といえよう。
文献
- Hawgood, B. J.: Albert Calmette (1863-1933) and Camille Geuérin (1872-1961): the C and G of BCG vaccine. Journal of Medical Biography, 15, 139-146, 2007.
- Linton, D.S.: Emil von Behring. Infectious Disease, Immunology, Serum Therapy. Derek S. Linton, 2005.
- Calmette, A. et al. : Origine intestinale de la tuberculose pulmonaire. Annales de l’Institut Pasteur. 01 October 1905. 601-610. https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k5834514r/f9.item
- Calmette, A. et al.: Sur quelques propriétés du bacille tuberculeux d’origine bovine, cultivé sur bile de bœuf glycérinée. Comptes rendus hebdomadaire des Académie des Sciences. 149, 716-718, 1909.
- Bazin, H.: Vaccination: a History. From Lady Montagu to Genetic Engineering. John Libbey Eurotext, 2011.
- Hsu, T. et al.: The primary mechanism of attenuation of bacillus Calmette–Guérin is a loss of secreted lytic function required for invasion of lung interstitial tissue. Proceedings of National Academy of Sciences. 100, 12420-12425, 2003.