167. 遺伝子改変麻疹ウイルスによるがん治療の進展

21世紀の新しいがん治療法として、腫瘍融解性ウイルス療法が注目されている。日本では、東大医科学研究所の藤堂具紀教授らの遺伝子改変ヘルペスウイルスによる悪性神経膠腫(グリオーマ)の治療が2013年に承認されている。

 

東大医科学研究所の甲斐知恵子教授は、遺伝子改変麻疹ウイルスによるがん治療の研究を2010年代初めから行っていて、現在、東大生産技術研究所特任教授として、臨床試験を実施している。その現状を紹介する。

 

がん療法のために構築した組換え麻疹ウイルス(rMV-SLAMBblind)

甲斐らは麻疹患者から分離された麻疹ウイルス(MV)HL株の種々の細胞株に対する作用を調べていた際、偶然、がん細胞株に対する強い傷害活性のあることを見いだした。MVはSLAMおよびネクチン4と名付けられた2つの受容体分子に結合して細胞内に侵入、増殖し、細胞を破壊する。がん細胞にはネクチン4が存在していて、MV-HL株はネクチン4を介して細胞に感染していた。

 

ネクチン4はヒトでは胎盤に存在するだけで、ほかの細胞にはほとんど存在しない。この特性を利用して、甲斐らはMV-HL株によるがん治療の研究を開始した。

 

MVの病原性はSLAMを介してウイルスがリンパ球に侵入することで発揮される。そこで甲斐らはMV-HL株の遺伝子を改変して、SLAMに結合できない組換えウイルスを構築し、rMV-SLAMblindと名付けて、腫瘍融解性ウイルスとして用いている。

 

rMV-SLAMblindの抗がん効果

乳がんには、エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、およびHER2 (human epidermal growth factor receptor 2)の過剰発現が認められないトリプルネガティヴ(triple negative:TN)と呼ばれるタイプのものがあり、ホルモン療法や抗HER-2療法が適用できない。TNタイプは乳がん全体の約17%を占め、転移や再発の確率が他のタイプの乳がんよりも高い。甲斐らはrMV-SLAMblindによる治療の標的としてTN乳ガンを取り上げた。TN由来の細胞株12株を調べた結果、9株(75%)でネクチン4が発現していて、rMV-SLAMblindがこれらのネクチン4陽性細胞を破壊することを確認した。

 

ネクチン4を高いレベルで発現している2株のTN乳ガン細胞を免疫不全マウスに移植して形成されたがんの中にrMV-SLAMblindを注射した結果、がんの増殖は完全に阻止された。静脈内注射でもがんの増殖阻止が認められ、転移がんの治療の可能性も示された。(1)

 

rMV-SLAMblindによる抗腫瘍免疫の活性化

ネクチン4を発現させたマウスのがん細胞をマウスに移植して、rMV-SLAMblindを腫瘍内に接種すると、NK細胞、T細胞などの活性化が引き起こされ、とくに腫瘍特異的CD8T細胞ががん細胞の破壊に働いていることが実験的に示された。rMV-SLAMblindは、がん細胞の直接的破壊に加えて、破壊されたがん細胞から放出される腫瘍関連抗原により誘導された抗腫瘍免疫を介した細胞死をもたらすと考えられる。(2)

 

基礎研究段階での安全性と安定性の確認

サルへの実験感染で発疹、体重減少、白血球減少といった症状が見られず、検査した全臓器と排出液(血液、尿、糞)からRT-PCRでウイルスは検出されなかった。

 

ウイルス遺伝子は細胞継代9代目でも安定していた。また、マウスに移植したがんの中で接種後89日でも安定していた。

 

臨床試験

前臨床試験で安定性の確認、イヌでの毒性試験を経て、第1相医師主導治験が2022年4月からがん研有明病院で開始された。対象はネクチン4陽性固形がんである。2023年10月には東大医科学研究所附属病院での治験が追加された。

 

米国での腫瘍融解性麻疹ウイルスの臨床試験

メイヨー・クリニックの腫瘍学教授エヴァンシア・ガラニス(Evanthia Galanis)のチームは、がん胎児性抗原を発現した遺伝子改変麻疹ウイルスを用いた再発性のグリオーマの治療を研究していて、22名の患者での第1相臨床試験の成績を2024年1月、Nature Communicationsに発表している。(3)

 

将来展望

ネクチン4を発現しているがんは、乳がん以外に肺がん、大腸がん、膵臓がんがある。これらに対してもrMV-SLAMblindが効果を示すと考えられる。とくに静脈注射ができることから、転移性がんの治療が期待される。

 

一般的な利点としては、侵襲性がなく副作用がほとんどない、通院治療が可能、比較的安価、といったことが挙げられる。

 

2024年2月、日本医薬品等ウイルス安全研究会シンポジウムで、甲斐教授は「遺伝子改変麻疹ウイルスによるがん治療」という演題で講演を行い、最後に、基礎研究から臨床試験、治療用製剤の実用化まで、純国産のがん治療法を目指したいと語っていた。

 

 

文献

 

    1. Fujiyuki, T. et al.: Recombinant SLAMblind measles virus is a promising candidate for nectin-4-positive triple negative breast cancer therapy. Molecular Therapy: Oncolytics. 19, 127-135, 2020.
    2. Moritoh, K. et al.: Immune response elicited in the tumor microenvironment upon rMV-SLAMblind cancer virotherapy. Cancer Science. 114, 2158-2168, 2023.
    3. Galanis, E. et al.: Carcinoembryonic antigen-expressing oncolytic measles virus derivative in recurrent glioblastoma: a phase 1 trial. Nature Communications. 15: 493, 2024. https://doi.org/10.1038/s41467-023-43076-7