1970年代末、すぐれた免疫抑制剤シクロスポリンが偶然に見いだされたことを契機に、臓器移植は実用的な医療技術として普及しはじめた。しかし、移植需要の増大に伴い、臓器不足は深刻な課題となった。その根本的な解決策として、ブタ臓器を用いる異種移植への関心が高まり、2020年代にはついに臨床試験の段階に達した。本連載ではこれまでに5回(77、101、142、149,163)にわたり、異種移植の話題を取り上げてきた。今回は、最新の状況を紹介する。
第1世代(〜2000):免疫学的障壁の解明と遺伝子導入ブタの開発
1984年、英国ケンブリッジ大学のDavid White(デイヴィッド・ホワイト)とTony Talbot(トニー・タルボット)は、異種移植の実用化を目的とする最初の企業イムトラン社を設立した。ホワイトはシクロスポリン発見に関与した免疫学者であり、彼らが描いた構想は「ブタからヒトへの腎臓・心臓移植」であった。
異種移植では、移植後数分以内に起こる超急性拒絶反応が最大の障壁となる。1991年、David Cooperデイヴィッド・クーパーらは、その主要標的抗原がブタ細胞表面のα1・3ガラクトース(αガラクトース)であることを明らかにした。ヒトやサルはこの糖鎖を持たないため、自然抗体が強力に反応し、補体を介する組織破壊が生じるのである。
(注:クーパーは心臓外科医で、最初の心臓移植を行ったクリスチャン・バーナードの助手を務めていた。クーパーはその後、異種移植の最前線を歩んできている。)
1992年、イムトラン社は補体制御タンパク質 DAF(Decay Accelerating Factor) の遺伝子を導入したブタを作出した。1995年には、DAF導入ブタの心臓がサルで60日間生着し、超急性拒絶を回避できることが示された。この成果を背景に、1996年、ノバルティス社は10億ドル規模の投資を決定し、イムトラン社を買収した。
一方で、ブタ由来ウイルスのヒトへの順化が潜在的リスクとして浮上した。ノバルティス社は1997年、David Onions(デイヴィッド・オニオンズ)を委員長とする異種移植安全諮問委員会を設置した。メンバーは英国、米国、オランダ、ベルギー、日本(筆者)の微生物専門家に心臓外科医クーパーが加わった11名からなる構成だった。その中の3人のウイルス学者は私の友人だった。多くのウイルスは排除可能であったが、ブタ内在性レトロウイルス(PERV)のみは染色体内に組み込まれているため、当時の技術では除去が不可能と判断された。PERVはレトロウイルスの一員で、さまざまな動物でがんを引き起こす。ブタのレトロウイルスがヒトにがんを起こす状況証拠は皆無だったが、大きな潜在的リスクとみなされた。(図) (前列左から、Albert Osterhaus、一人置いてEric Classen、Corrie Brown、一人置いてLaurie O’Reilly。後列左から、Thomas Alexander、David Onions、Brian Mahy、Paul-Pierre Pastoret、David Cooper、Phil Minor、筆者)
最終的にノバルティス社は2000年にプロジェクトから撤退した。直接の理由は、イムトラン社が委託した会社の内部文書の流出が社会問題化したことで、PERVリスクは副次的理由として位置づけられた。
第2世代(2000〜2017):革新的遺伝子改変技術とPERV除去の試み
英国PPLセラピューティクス社は、クローン羊ドリーの作出に関わった遺伝子改変家畜の先駆者である。2000年に子会社Revivicor(レビビコール)社を設立し、クローン技術と遺伝子改変を組み合わせて異種移植に取り組んだ。
レビビコール社のブタは、①αガラクトースなどの糖鎖抗原、移植臓器の過成長に関わる4つの遺伝子のノックアウト、②補体制御・凝固制御・抗炎症関連のヒト遺伝子など6つの遺伝子の導入(ノックイン)、という計10遺伝子改変を施されている。
PERVについて同社は、ブタ臓器や細胞を用いた臨床・観察試験でヒト体内での複製が確認された例はなく、20年以上の追跡試験でも核酸は検出されていないことから、「理論的リスクはゼロではないが、臨床的リスクはほぼゼロ」と見なしている。食品医薬品局(FDA)もこれと同様の評価を行っている。
レビビコール社とは対照的な取り組みを行っているのは、eGenesis(イージェネシス)社である。同社は、2011年、ゲノム編集技術が開発され、狙った遺伝子をピンポイントで改変することが可能になったことから、2015年、ハーバード大学の楊璐菡(ヤン・ルーハン)とGeorge Church(ジョージ・チャーチ)が共同で設立した企業である。2017年までに25–62コピーのPERVをすべて削除したミニブタを作出し、拒絶関連遺伝子も改変した。
現在、レビビコール社の10遺伝子改変ブタと、イージェネシス社の69遺伝子編集ブタが臨床応用候補として並行して用いられている。
第3世代(2021〜):ヒト臨床応用への移行
準臨床試験・脳死者モデル
アラバマ大学は2015年からレビビコール・ブタの飼育施設を移植センター近くに設け、PERVを含むウイルス検査を徹底しながら準臨床試験を進めた。2021年9月、脳死者への腎移植がアラバマ大学移植総合研究所のJaime Locke(ジェイミー・ロック)により、通常の臓器移植と同様の手順で行われ、超急性拒絶は生じず、尿産生も確認された。
同年、ニューヨーク大学のRobert Montgomery(ロバート・モンゴメリー)らも脳死者2名に腎臓移植を行った。アラバマ大学の場合と異なり、腎臓は大腿部の血管につながれ、保護シールドに覆われて腿の付け根に置かれ54時間にわたって検査が行われた。2例とも腎臓の機能は正常に働き、経時的に採取した生検組織には超急性拒絶反応の徴候は見られなかった。
心臓移植(人道的使用)
2022年1月、世界初のブタ心臓移植がメリーランド大学のMuhammad Mohiuddin(ムハンマド・モヒウディン)、Bartley Griffith(バートレー・グリフィスら)により実施された。末期心不全の患者David Bennett(デイヴィッド・ベネット)に対し、人道的使用(Compassionate Use)の枠組みでレビビコール社の10遺伝子改変心臓が移植された。40日後に死亡したが、拒絶反応はなく、死亡の原因としてブタサイトメガロウイルスの再活性化が有力視された。
同年9月には第2例が行われ、当初経過は良好であったが、約6週間後に感染症と拒絶が複合要因になって死亡した。
正式臨床試験としての腎臓移植
2024年3月、マサチューセッツ総合病院(MGH)河合達郎らは、規制当局の承認を得た正式試験として、イージェネシス社の69遺伝子編集ブタ腎臓を62歳男性に移植した。腎臓は機能し、透析は不要となったが、患者は5月に別の要因で死亡した。
2025年1月には第2例が実施され、患者は退院し、腎機能は良好と報告されている。
文献
山内一也:異種移植。医療は種の境界を越えられるか。みすず書房、2022.
Niu, D., Wei, H.-J., Lin, L. et al.: Inactivation of porcine endogenous retrovirus in pigs using CRISPR-Cas9. Science, 1.1126/sicence.aan4187, 2017.
Porrett, P.M. et al.: First clinical-grade porcine kidney xenotransplantation using a human decedent model. American Journal of Transplantation, 22, 1037-1053, 2022.
Montgomery, R.A. et al. : Results of two cases of pig-to-human kidney xenotransplantation. New England Journal of Medicine,386, 1889-1898, 2022.
Chase, B.: World’s first genetically-edited pig kidney transplant into living recipient performed at Massachusetts General Hospital. Mar. 21,2024.
https://www.massgeneral.org/news/press-release/worlds-first-genetically-edited-pig-kidney-transplant-into-living-recipient?utm_source=chatgpt.com
Chase, B.: Massachusetts General hospital performs second groundbreaking xenotransplant of genetically-edited pig kidney into living recipient. Feb. 7, 2025.
https://www.massgeneral.org/news/press-release/mgh-performs-second-xenotransplant-of-genetically-edited-pig-kidney-into-living-recipient?utm_source=chatgpt.com

