早いもので後2週間たらずで帰国することになり、この便りもおそらくこれが最後となります。 少し前にパイサンドゥで開催されたウ国第25回牛病学会(兼第9回ラテンアメリカセミナー)や当研究所の実験牧場(アグア・ブランカスとペニンスラス半島とその周辺の島)に行きました。 後者はウ国が国をあげて口蹄疫(FMD)撲滅に取組んだときに必要不可欠であったFMDフリー牛生産のための実験牧場です。 今はFMDはもちろん、数種類の抗体がフリーのいわばSPFに近い実験牛を生産しています。 これらについてはいつか機会をみてまとめたいと思っています。
仕事以外ではカウンターパートの家に招待されたことや、フットボールのマレーシア杯(世界ユース大会)でアルゼンチンと優勝を争ったとき(2-1で負けましたが)の様子とか面白いことがありましたがこれもまたの機会にします。
最後ですから個人的なことを多少書かせていただきます。 僅か6ヵ月でしたがJICAチームのスタッフをはじめ研究所の関係者のおかげで大変楽しく仕事をすることができました。 とくに井上忠恕チームリーダーには公私ともにお世話になりました。 同氏は今から13年前(1984年)に北大から当時私が室長をしていた農水省家畜衛生試験場の実験動物研究室に主任研究官として出向してきました。 その頃は私どもの所でもはやりの発生工学的な研究を行いつつあり、受精卵移植の専門家である同氏は貴重な戦力となりました。 恰度、農水省はその次年度から動植物の遺伝資源事業(ジーンバンク)を計画しており、実験動物もこの事業に含まれるということで、その頃は予算要求のための沢山の資料収集、書類づくりなど大変な忙しさでした。 その中で、従来から私どもで進めていた草食家畜のための実験動物としての小型の草食動物を開発するべく海外遺伝資源調査を計画していましたが、その際の同氏の情報収集能力に驚いたことがあります。 世界最小の反芻動物のマメジカをはじめ中南米のピカやプーズー等草食動物、それに単蹄のブタ、ユカタンのミニチュアヘアレスピッグ等の生息地域や特性などをリストして予算書類を作成しました。 これらの努力のおかげで研究室はその後ずっとジーン・バンクの予算が続きました。 今でも続いているはずです。 苦労して作った海外調査計画は私の後任の福田勝洋博士(現名大農学部教授)がひきつぎ、メキシコ、インドネシア、マレーシアに行き、その成果の一つとしてマメジカを家畜衛試に導入して特性を報告しました。 井上氏は半年後別の研究室長へ、私は2年後に神戸大へとそれぞれ移ってしまい、結局ジーン・バンク事業の恩恵にあずかれませんでしたが。 一緒に資料を集めたり文章を考えながら、いつの日か中南米で一緒に仕事をしようと語り合ったものでした。 それが13年後、ここウルグァイでその夢を果せることになりまさに感無量です。 同氏の情報収集能力は益々磨きがかかり、今回の「ウルグァイ便り」でup to dateなニュースがあったとするならば殆んど同氏のおかげです。
JICAチームには現在私を含めて6名と秘書として現地採用の邦人2世M.M.嬢がいます。 それぞれ面白い方々で、とくにK氏についてはいろいろなエピソードがあって、是非ご紹介したいのですが閉鎖社会のこと、すぐ分かってしまうので書きません。 M嬢についてはしばしばこの「便り」でも触れており、才色兼備の貴重な戦力となっている方です。 K氏などもっと給料を上げるべきだといつもいっています。 重要な会議とか公私ともに何かトラブルがあった時の通訳、ホットな新聞記事の解説などに欠かせない存在です。 私も研究所で報告会を2回、C/Pに対して判別分析の講義を2回行ない、いずれも彼女の的確な通訳のお世話になりました。 反面、彼女がいるために私どものスペイン語がなかなか上達しないようです。
最後に、拙稿を霊長類フォーラムに掲載するように取計らって下さった吉田高志博士、坂本道代さんをはじめ文章入力、校正等でお世話になった椎名京子さん、田中佐絵子嬢に深謝します。