ウルグァイ便り 第19回

コロニア / トレインタ・トレス / サルト


コロニア

モンテヴィデオからセロの丘を左手に見ながらRuta 1(国道1号)を西北へラ・プラタ河沿いに進むと車で約2時間半でコロニアという町に着きます。 人口は数万人の小さな町ですが、アルゼンチンのブエノス・アイレスとの河幅がもっとも狭く(45Km)、1時間おきにフェリーが出ていてなかなか活気があります。 ここに両国間に橋を作る計画があり、日本の三菱企業体も入札しているとは前に書きました。この橋は2002年に完成するということです。

途中の風景は何の変哲もないパンパスが主ですが、一ヶ所植林して100年近く経ったと思われるユーカリや松の長い長い並木は見事なものです。 この道は Colonia → Montevideo → Punta del Esteと続く道でアルゼンチン人が沢山フェリーで観光、保養で通るルートで、しかも将来橋も出来ることから所々で立派な高速道路にすべく工事が行なわれています。 既に一部は開通しています。 私どもの車をすごいスピードで追い抜いていくのは黒地に白字のプレートのアルゼンチン車ばかりです。 フェリーに間に合うように急いでいるのでしょう。 そのコロニア港には白いアルゼンチンの船が2隻入っていて、恰度、その中の一隻が出航しようとしていました。 一時間ばかりでブエノス・アイレスに着きます。 しかし、対岸には都市らしい建物は全く見えず水平線が広がっていました。 夜になるとぼんやりと光が見えるといいます。

海岸べりの公園に行ったところワァーと蚊がよってきました。 そういえばこの辺で蚊が大量に発生し、しかも、少しモンテヴィデオ寄りのサン・ホセという町ではDengue熱も30数人かかったとか、そういうニュースが2週間前にありました。 早々に退散しました。 ここコロニアにはポルトガルが一時侵入し占領したとかで建物もポルトガル風でした。 海岸べりには城塞の跡があり、今は燈台になっています。 そのまわりは公園になっていて土産物店やレストランが10数軒それぞれあります。 町の街路にはガス灯を模した街灯が取付けられ、いかにも中世のポルトガルのような風景を醸していました。 道も、広い通り以外は昔からの石畳でした。

ここの土産物店の商品にはウルグァイペソ、アルゼンチンペソおよびドルの3種類の価格がついていました。 ウルグァイに来て、始めてトイレで5ペソ(70円)とられました。


トレインタ・トレス−−牧場見学−−

研究所の前にRuta 8(国道8号)があります。 それを北東に15分位車で行くと左側にかっての口蹄疫センターがあります。 今の獣医研究所の前身で数年前から使っていません。 一度見学したことがありますが、中は清浄区域と汚染区域に厳格に区別され空調設備、オートクレーブ、シャワー室、パスボックス、焼却場など完璧な施設で、この国が口蹄疫撲滅に全力を注いだことが伺われます。 今は売りに出されて、その資金で現研究所をさらに充実させるとのことですが、市からかなり離れていますのでなかなか売れないようです。 特殊な建物ですから建物は壊して土地だけの価格となるでしょう。 厚生省の老人福祉施設になるとの噂もあります。

この道をさらに進みパンド、ミナスといった小さな町を通り過ぎますと例のごとくなだらかな起伏のパンパスが続きます。 しかし、途中山(といっても500m位)の峠(200m位の高さ)を越えますのでリオ・ネグロに行く時に通った国道5号より変化のあるところが多くあります。 オーストラリアのAir Rockを小型にしたような岩山もあります。 この山並みを通りすぎますと後は見渡すかぎりのパンパスで車からみるとすべてゴルフ場のように見えます。 牛や羊が入っているせいか草丈は極めて短いのです。 ところどころにユーカリの林や茅(かや)が群生していて沼も点在しています。 雨水が貯まったもので牛や羊の水飲み場になっています。 トレインタ・トレス近辺には米の集積センター(カントリー・エレベータ)が沢山あります。 40km離れた湖から潅漑をひいて水田を作って水稲を栽培しています。 もちろん外米で草丈が高いのですが、その付近は日本の田舎の風景とよく似ています。 もうじき牧獲で黄色味がかっていました。

そんな所を過ぎて、町の郊外にある牧場を見学しました。 入口近くに住居兼用の事務所のこざっぱりした平屋建と馬の厩舎、農機具舎、機具修理舎などがかたまっている他は見渡す限りパンパスです。 その中の凸凹道を車で行くとそのパンパスはピンと張った5〜6段の太い針金で区分されていることが分ります。 針金で合計22のパドックに分けられ各パドックの草の生え具合をみて牛や羊を輪牧します。 一つのパドックの面積は平均25haといいますからこの牧場の広さが分かります。 これでも中規模な牧場だそうです。 22のパドックのうち、60%が人工草地で40%は自然草地です。 人工草地とはいっても肥料として有機物と石灰と燐を加える程度で、7年間はホワイトクローバーやルーサン等の同一草種です。 8年目に新しい草種を植えます。 ここ3年間は雨が少ないので、2,000万円をつぎこんで井戸による撤水システムを造ったばかりとのことでした。 私の最後の投資だと経営者のSr. Cronzalo (55才)は豪快に笑いました。 この牧場は彼のお父さん(医者)が今から65年前に買い求めたそうです。 約1時間かけて各パドックを見廻りましたが、そのうちの一つには大きな沼がありました。 近くにある河の迂曲した一部が残ったもので深さは5m、大きな貝も生息していて食べられます。 魚影もみました。10年程前にはこの沼の水を飲みにカピパラ(ここではCarpinchoといいます)がきたとか。 カピパラは今でもウ国に少数生息しています。

食堂でウ国名物の焼き肉(Asado)をご馳走になりました。 彼の息子も同席しました。 24才で現在モンテヴィデオ市に在住して共和国大学の農学部に通って、いわゆる卒論を書いている所です。 卒業すれば彼の父親と同じIngeniero agronomoを得ます。 なかなかの好青年でとても感じのよい若者でした。 彼女がもう決まっているといっていました。 父親の跡を継ぐかどうか微妙な感触でした。

トレインタ・トレスは33という意味で、独立戦争で活躍した33人の勇士の銅像があります。 この小さな町の中にDILAVE(獣医研究所)トレイン・トレス地域センターがあります。 職員は、所長1、研究員2、事務員1、その他5の計9名でふつうの2階建の家で仕事をしています。 中には古ぼけた顕微鏡やミクロトーム等がある程度です。 それでも若い方の研究員はスウェーデンに留学経験があり、また、近いうちにPh.D.をとりにスウェーデンに行くそうで、貧弱な施設にも不拘、仕事をしています。 彼が中心になってまとめた1987〜1996年の当センターにおける病性鑑定データは貴重なものです。 このような有能な若者が財政難のため十分な施設、器具、消耗器材等に必要な研究費不足で才能を十分に発揮できないでいるのは残念でなりません。


サルト

サルトはウ国の北西部、モンテヴィデオ市から約500kmの所にある人口10万人ばかりの小都市です。 東京から京都ぐらい離れています。 小都市といっても首都モンテヴィデオ(人口134〜5万人)につぐウ国第2の都市です。 大陸性の気候で夏は最高32〜3度、冬は最低-5度位です。 もっとも昨冬は-10度を記録した日もあったそうです。 付近は昔からオレンジ等柑橘類の栽培が盛んで "La capital citricola del pais" 「柑橘の首都」と呼ばれています。

モンテヴィデオ市から国道1号をコロニア方面に車で30分ばかり行き右折して国道3号線に入ります。 サン・ホセ(今夏、デング熱患者が30名発生して大騒ぎになった所)、トリニダート等の小都市を通り、さらにウ国のフォークソングのカンドンベでときどき歌われているパイサンドゥ市のそばを通って6〜7時間かかってやっとサルトに着きます。 途中の風景は全く単調でパンパがどこ迄も続いています。

サルトの街は碁盤の目のようになっています。 高層建築物は殆んどなく、古いがっしりとしたコンクリート2階建の家からなっていてとても落着いた感じです。 繁華街はウルグァイ通りの約2kmだけで、そこには洋服、電化製品、靴・カバン等の商店やレストランが両側に並んでいて夜10時過ぎには沢山の人で賑わいます。 そこから一寸はずれた所にテアトロ・ララニャーガというこじんまりした劇場があります。 モンテヴィデオのテアトロ・ソリスよりずっと小さいのですが、2〜4階にはバルコンがあり、ヨーロッパの古い劇場と同じ構造です。 定員は720人と支配人はいっていました。 ウ国が牛肉、羊毛等畜産物の輸出で景気がよかった時は外国から一流のオーケストラやオペラを呼び、テアトロ・ソリスをはじめここサルトのテアトロ等国内各地を巡って演奏したようでその時のポスターやプログラムが劇場の一画に展示されています。

サルトの西側にはウルグァイ河(下流ではラ・プラタ河になる)が流れその対岸はアルゼンチンです。 河幅は河原を入れて4〜500mでしょうか、そこには小さな港があり、アルゼンチンのコンコルディアという人口20万人の都市との間に人だけ運ぶ小さな定期船が通っています。 15km上流には河をせき止めて作ったダムがあり発電所もあります。 落差は20m位しかありません。 このダムは、また、ウルグァイとアルゼンチンを結ぶ橋にもなっていて、人をはじめ、自動車、貨物列車が通れるようになっています。 税関はアルゼンチン側にあるので車で橋を渡り税関の手前で下車して同国の大地を踏んできました。 両国人だけはIDカードだけで行き来できます。 このダムの近くにウ国の果樹試験場があり、私の海兵時代の同期生、田中氏が活躍しています。

サルトの近くには温泉(Terma)が二つあります。 一つは市の南側8kmのダイアンテルマでもう一つは市の北方80kmの所にあるアラペイ・テルマです。 私は前者に夕方に行きましたが、週末前夜で沢山の人で賑わっていました。 日本の温泉とは異なり温泉プールといった所です。 まず、水着をきて温水シャワーで体を洗ってから入ります。 プールは大小8つ、なだらかな芝生の大きな庭にあります。 もっとも熱いのが42度で多くは38度前後です。 ぬるい方は子供達がプール感覚で泳いだり飛び込んだりしています。 多くの大人達は一寸つかっては庭のテーブルを囲んでマテ茶を飲んだり何かを食べたりして一日を過ごしています。 入場料は18ペソ(250円)です。 まわりには小さなホテルが数軒あり、大体5〜6,000円で泊まれると思います。


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