「100回目を迎えて」 |
今から5年前に始めたこの講座は今回で100回目を迎えました。1995年、日米医学協力事業の霊長類研究班(班長は当時、国立予防衛生研究所霊長類センター長、現在東大農学部教授の吉川泰弘先生)の活動のひとつとして、ニフティサーブをキイステーションとして霊長類フォーラムが開かれました。その中で私に人獣共通感染症の講座を担当してほしいと要請されたのがきっかけで始めた講座です。インターネットを介したフォーラムについてまったくの素人であった私にとって、これがどのような形で発展するのかはまったく想像もつきませんでした。ちょうど、その前の年にProMEDが発足し、また、CDCの月刊誌Emerging Infectious Diseasesも発刊され、海外からの最新情報が容易に入手できるようになってきていました。 そこで、1995年4月14日に第1回講座としてオーストラリアで発生したウマモービリウイルス(現在はヘンドラウイルスに改名)感染を取り上げました。最初は霊長類フォーラムのメンバーのみに配布しましたが、徳島大学医学部動物実験施設の松本耕三先生から、同大学のホームページに転載したいとの希望が寄せられ一般公開の形になりました。 その直後に、ザイールでエボラ出血熱の再発生が起こり国際社会に大きな衝撃を与えました。ProMEDでは現地からの生々しい報告も含めてリアルタイムの情報が送られてきました。それらをもとにエボラウイルスについての話題をとりあげ、これはNHKのクローズアップ現代への情報提供にもつながりました。 1996年には英国で牛海綿状脳症による新型クロイツフェルトヤコブ病の問題(いわゆる狂牛病パニック)が起こりました。この講座へのアクセス数は海外からも含めて飛躍的に増加したようです。また、この機会に本講座は日本獣医学会のホームページにも掲載されることになりました。 振り返ってみますと、単純に人獣共通感染症と考えていた領域は、この数年の間に想像もできない広がりを示してきました。本講座で取り上げた話題もそれを反映して、急性出血熱から最近のニパウイルス感染やウエストナイルウイルス感染のようなエマージング感染症、プリオン病、動物工場、異種移植、バイオテロリズムと多岐にわたるものになってきました。 たまたま、今年の春の日本獣医学会で「21世紀に向けての獣医学」というシンポジウムが開かれ、そこで私は「人獣共通感染症の制圧」という演題の講演を行いました。その内容はこれまで本講座で取り上げてきた多くの話題にかかわっています。そこで、「獣医畜産新報」53巻、7号(文永堂出版)に掲載された発表内容を100回目の講座の話題として、出版社の了解を得て転載することにした次第です。 |
「人獣共通感染症の制圧」 |
要約 |
野生動物に由来する人獣共通感染症は絶え間なく発展する現代社会がかかえる大きな問題である。とくにニパウイルス感染にみられるように家畜がウイルスの増幅動物となってヒトへの感染源となる伝播様式は、畜産を媒介としたエマージング感染症の様相を示している点できわめて重要である。一方、動物工場、異種移植といった動物バイオテクノロジーは潜在的エマージング感染症という、新しい重要な問題を提起している。獣医微生物学は新しい医療技術の面でも重要な役割を期待されているのである。 |
はじめに |
ウイルス学の出発点は1898年の口蹄疫ウイルスの分離である。すでに始まっていた細菌の狩人の時代に引き続いて20世紀は微生物学のめざましい進展の時代となった。ワクチンにより多くの感染症は予防されるようになり、多くの細菌感染は抗生物質により治療可能となった。1980年にWHOが宣言した天然痘の根絶はまさに微生物学の最大の偉業となった。20世紀の前半は感染症の克服が期待されたバラ色の時代といえる。ところが当初、人類が制圧可能と考えた感染症は、1968年に突如発生したマールブルグ病を契機として新しい様相を示し始め、その後の30年間はエマージング感染症の時代となった。ラッサ熱、エボラ出血熱、ハンタウイルス肺症候群、ヘンドラウイルス感染、ニパウイルス感染など、新しい感染症の出現である。これらはほとんどが野生動物を宿主とする人獣共通感染症のウイルスである。絶え間なく発展する現代社会に、野生動物を住みかとするウイルスが招き入れられたのである。一方、遺伝子工学や生殖工学の進展に支えられた動物バイオテクノロジーは、組換え家畜による医薬品製造や異種移植といった、畜産と医療が直結する新しい領域を生みだした。ここでは医薬品や移植臓器を介した人獣共通感染症が重要な問題になってきた。 野生動物由来の感染症の制圧にかかわる問題と、医療技術の進展により議論が起きてきている潜在的人獣共通ウイルス感染の両面について考察を試みる。 |
野生動物由来感染症の出現様相の変化 |
1968年のマールブルグ病につづいてラッサ熱、エボラ出血熱とウイルス性出血熱の発生があいついだ。これらはいずれもアフリカに生息する野生動物由来である。ところが90年代になるとハンタウイルス肺症候群(米国、1993)、ヘンドラウイルス感染(オーストラリア、1994)、トリインフルエンザウイルス感染(ホンコン、1997)、ニパウイルス感染(マレーシア、1998−1999)、ウエストナイル熱(米国、1999)と先進国での発生がめだつようになってきた。 さらに重要な点は自然宿主である野生動物からヒトへの伝播様式の変化がある。1995年にザイールで発生したエボラ出血熱ではひとりの人が熱帯雨林でエボラウイルスに感染したのが最初と考えられている。ひそかにヒトからヒトにつながっていた感染が大発生になったのは、病院内での同じ注射器の反復使用、医療器具の消毒不十分など、貧困な医療環境が原因である。マールブルグウイルスは不明の自然宿主から直接ヒトに感染が起きたものでヒトの間での2次感染は濃厚接触以外では起きていない。 アフリカ由来のウイルス性出血熱のすべてが野生動物からの直接感染であったのに対して、ヘンドラウイルスでは自然宿主のオオコウモリから感染を受けたのはウマであって、ヒトへの感染はウマを介して起きた。この伝播様式はヘンドラウイルスと同じグループとみなされるニパウイルス感染の場合もっと特徴的なものとなった。マレーシアに生息する4種類のオオコウモリではニパウイルス抗体が検出されている。まだウイルス分離は報告されていないが、抗体の存在は自然宿主であることの強力な証拠とみなせる(1)。ニパウイルス感染では265名が入院し100名以上のヒトが死亡しており、実際の感染者の数はもっと多いと推測されている。ヒトの感染は自然宿主動物からではなく、ブタを介したものであった。すなわち、まずオオコウモリからなんらかの経路でブタが感染・発病した。畜舎の間での感染の広がりはあまり起きていないにもかかわらず、多くの養豚場で発生した原因には人為的要因がかかわっている。最初、この発生は日本脳炎と診断されたために、ブタへの日本脳炎ワクチンが行われ、1本の注射器で多数のブタにワクチンが接種されたため、注射器を介した感染の広がりが起きたと考えられているのである。畜舎間でのブタの移動、獣医師の診療も伝播にかかわったと推測される。養豚産業がブタの間での感染を広げ、ブタで増幅されたウイルスが人間への感染源になったことになる。自然宿主から感染した家畜がウイルスの増幅動物となって、ヒトに感染を広げたわけである。まったく新しいエマージングウイルスの様式ということになる。 |
エマージング感染症予防の枠組み |
1968年のマールブルグ病に引き続いてラッサ熱、エボラ出血熱とウイルス性出血熱があいついで発生し、これら危険な病原体を中心として広く微生物のとりあつかいにかかわるバイオハザード対策が国際的に重要な課題になってきた。日本ではバイオハザード対策の最初として1976年には国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)が内部規則としての病原体の分類と安全管理規定を作り、これが見本となって多くの大学や研究所が同様の管理体制を作ってきまた。しかし、すべて自主規制であって、欧米のような国としての枠組みはできていない。文部省管轄の大学、研究所に対しては昨年、文部省が安全管理規定を作成したが、国立や民間の研究所ではいまだに自主規制のままである。 一方、マールブルグ病を契機に輸入野生動物の危険性が認識され、これらの輸入規制や検疫制度の導入が1970年代に欧米で行われた。日本では1999年、100年前に作られた伝染病予防法が大改正されて感染症予防法が施行され、その中にはじめて人獣共通感染症対策が盛り込まれた。これまで動物検疫は家畜伝染病予防法による家畜と狂犬病予防法によるイヌに対してのみであったのが、改正された感染症予防法でサルのエボラ出血熱とマールブルグ病が検疫の対象になり、また狂犬病予防法の適用の拡大でネコ、キツネ、アライグマ、スカンクが検疫対象に加えられた。一部野生動物に対する検疫が行われることになったのである。しかし、齧歯類はすべて検疫の指定外であり、その中にはたとえばラッサウイルスの自然宿主であるマストミス、ペスト菌保有動物であるプレーリードッグも含まれている。哺乳類では狂犬病ウイルス、ヘンドラウイルス、ニパウイルスなどの自然宿主であるコウモリが指定外であって、いずれも輸入は野放しのままである。 一方、ヒトでは保健所届け出が義務づけられている疾病の多くは動物で感染がみつかっても届け出の必要はない。獣医師の届け出義務はサルのエボラ出血熱とマールブルグ病に限られている。サルの検疫はエボラ出血熱とマールブルグ病のみに対して行われるため、サルでよくみつかる赤痢感染、Bウイルス感染は検疫の対象にはなっていない。また医学研究用サルの検疫での重要な項目である結核も対象にはなっておらず、したがってツベルクリン検査は行われない。医学研究用サルの検疫は豊富な経験のある民間検疫施設で主に行われ、動物検疫所ではペット用サルの検疫が主体になると思われる。そこで検疫が終了したサルから赤痢感染などが起きた場合、もちろん法的責任はないが、社会的に容認されるかどうかむずかしい問題が残されている。 |
動物工場で生産される医薬品の微生物学的安全性 |
動物工場は欧米で急速に進展している動物バイオテクノロジーのひとつで、ヒツジ、ヤギ、ブタ、ウシなどの乳腺を医薬品製造のバイオリアクターとして、乳の中に医薬品を生産させるものである。ヒツジで作ったα1アンチトリプシンは英国で、ヤギで作ったアンチトロンビンIIIは米国で臨床試験が現在進行している。ウシではαラクトアルブミン、ブタではプロテインCの開発が進んでいる。このほかにヒツジでは、体細胞クローニング技術を利用した第9因子の開発も行われている。 動物工場で生産される医薬品の微生物学的安全性はワクチンなどの場合と同様に、動物由来病原体として細菌、寄生虫、ウイルスなどの否定が必要である。ヒツジとヤギで問題となる人獣共通感染症のリストは表1に示したとおりである。これらのうち、特殊なものとして、スクレイピーおよびウシ海綿状脳症(BSE)といったプリオンの否定が重要な課題になる。プリオンの効果的な検出法はないため、もっとも基本になるのはスクレイピーおよびBSEフリーの国で繁殖・育成されたヒツジおよびヤギの使用である。この観点から欧米ではニュージーランド産のヒツジとヤギが用いられている。そのほか、製造工程での排除の可能性についてスクレイピー病原体を添加して排除効率を調べる、バリデーションも行われているが、これは補助的な意義のみであって、あくまでも基本は清浄国産の動物を用いることにつきる。将来的にはプロダクト中のプリオンの検出法の確立が必要である。 |
臓器提供用豚の微生物学的品質管理 |
臓器不足の根本的解決策として、ブタの臓器を用いる異種移植の研究開発が進展している(2)。移植臓器としては心臓と腎臓、体外灌流には肝臓と腎臓が検討されている。また、パーキンソン病への胎児脳細胞、糖尿病への肝臓細胞といった細胞移植も検討されており、一部ではすでに臨床試験に入っている。 異種動物の臓器移植でもっとも大きな問題である移植直後に起こる超急性拒絶反応は、ヒト補体制御蛋白であるDAF遺伝子を導入したブタが開発されて、回避しうる見通しがたってきている。現在はこの遺伝子導入ブタの心臓と腎臓のサルへの移植実験で、超急性拒絶反応に続いて起こる急性血管性拒絶反応回避の研究の段階に進んでいる。 異種移植の臨床試験が現実のものとなってきて、問題になっているのはブタの臓器に潜んでいるかもしれないウイルスの潜在的危険性である。ブタの臓器が長い年月にわたってヒトの体内で生着した場合にブタ由来のウイルスがレシピエントに感染して病気を起こすことはないか、さらに家族や医療スタッフに感染を広げることはないか、極端なシナリオでは社会に新しいウイルス感染を引き起こすおそれはないかという問題である(3)。 その対策として考えられることはまず、子宮切除または帝王切開により種ブタを作出し、バリアーシステムで飼育・繁殖を行い、排除すべき病原体のリストにしたがってSPF(Specified pathogen-free)のドナー・ブタを確保することである。この病原体リストとして、筆者も参加しているNovartis Xenotransplantation Safety Advisory Boardが詳細なものを作っている(4)。そのうち主なウイルスを表2に示した。 この表のウイルスのほとんどは排除可能であるが、ブタサイトメガロウイルスのように潜在感染するものやブタサーコウイルスのように垂直感染のおそれのあるものの場合には容易ではないかもしれない。 もっとも大きな問題となっているのは、ブタ内在性レトロウイルス(Porcine endogenous retrovirus: PERV)である。これは染色体に組み込まれているため、その遺伝子をノックアウトしない限り排除できない。現在3グループのPERVが見いだされており、そのうちのあるものは効率は低いがヒトの培養細胞に感染することが明らかにされている。しかし、培養細胞での増殖はヒトへの感染性を示したものにはなりえない。ヒトへの感染性を知るためにはヒトでの試験が不可欠である。この観点からこれまでにブタの組織や細胞の移植を受けたことのあるヒト160名の血液が世界各国から集められ、高感度のPERV検出法で調べた結果、感染の証拠が見られなかったことが報告されている(5)。つぎに取りうる手段は、PERV感染リスクがありうるという前提で、限定した患者についての厳密な臨床試験を実施し感染の有無を監視することである。この際には感染リスクを想定したリスク管理方式の確立がもっとも重要である。PERVの高感度検出では移植臓器由来のブタ細胞がレシピエントの血液中に混在するマイクロキメリズムが生じるために、ブタ細胞中のPERVとレシピエントに感染したPERVの鑑別が重要な課題となる。このようなPERV検出にかかわる問題を検討する実験モデルとしてはネコ白血病ウイルスが期待されている。 もうひとつのむずかしい問題は未知のウイルスである。最近になってブタから分離されたウイルスとして、E型肝炎ウイルス(6)(米国、1997年)、新しいパラミクソウイルスとしてメナングルウイルス(7)(オーストラリア、1998年)とニパウイルス(マレーシア、1999年)、ブタリンパ球向性ヘルペスウイルス(8)(ドイツ、1999年)がある。これからも新しいウイルスが出現してくることが予想され、その際にどう対応するかという問題である。これはドナーとして使用したブタと移植を受けたレシピエントのサンプルの保存システムを完備して、新しいウイルスがみつかった場合に過去のサンプルについての検査が可能となる体制を確立することが基本になる。それとともに、国際的共同研究、排除対象とする病原体(Specified pathogen)のリストのバージョンアップが不可欠である。異種移植に期待される大きな恩恵と、それに伴うリスクの管理システムという複雑な問題であり、これには獣医微生物学の協力がかかせない。 |
おわりに |
主に野生動物に由来するエマージング感染症としての人獣共通感染症の問題と、新しい医療技術の開発にともなって懸念される潜在的人獣共通感染症の問題を簡単に整理してみた。野生動物との共存はエマージング感染症との共存でもあり、絶え間なく発展する現代社会がかかえる大きな問題として、ますます重要になると考えられる。そのためには、患者の迅速診断と処置、ヒトの間での伝播の防止、動物からヒトへの伝播経路の遮断、野生動物から家畜への伝播の阻止、宿主動物からの病原体の排除といった多面的な取り組みを必要とする。これらは医学と獣医学の密接な連携を必要とする、21世紀における重要な課題になるであろう。一方、動物工場、異種移植といった新しい医療技術のうち、とくに異種移植では最悪のシナリオとして第2のエイズともいわれる潜在的危険性が指摘されている。獣医微生物学は新しい医療技術の面でも重要な役割を果たすことが期待されているのである。 |
文献 |
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表1 ヒツジおよびヤギの人獣共通感染症 |
種類 | 病気 | 病原体 |
ウイルス | 伝染性膿疱性皮膚炎 | オルフウイルス(ポックスウイルス科) |
ダニ脳炎 | ロシア春夏脳炎ウイルス | |
リフトバレー熱 | リフトバレー熱ウイルス(ブニアウイルス科) | |
跳躍病 | 跳躍病ウイルス(フラビウイルス科) | |
ウェッセルスブロン病 | ウェッセルスブロンウイルス(フラビウイルス科) | |
ナイロビ羊病 | ナイロビ羊病ウイルス(ブニアウイルス科) | |
狂犬病 | 狂犬病ウイルス(ラブドウイルス科) | |
プリオン | スクレイピー* | |
ウシ海綿状脳症** | ||
細菌 | 炭疽 | Bacillus anthracis |
ブルセラ病 | Brucella melitensis, B. bovis | |
カンピロバクター症 | Campylobacter fetus | |
めん羊赤痢 | Clostridium perfringens | |
仮性結核 | Corynebacterium pseudotuberculosis | |
非化膿性多発性関節炎 | Erysiperlothrix rhusiopathiae | |
豚丹毒菌症 | Erysiperlothrix rhusiopathiae | |
レプトスピラ症 | Leptospira spp. | |
リステリア症 | Listeria monocytogenes | |
結核(ウシ型) | Mycobacterium bovis | |
パスツレラ症 | Pasteurella spp. | |
サルモネラ症 | Salmonella spp. | |
エルシニア症 | Yersinia paratuberculosis? | |
真菌 | 皮膚糸状菌症 | Trichophyton spp. |
リケッチア | Q熱 | Coxiella burnetii |
原虫 | クリプトスポリジウム症 | Cryptosporidium muris, C. parvum |
トキソプラズマ症 | Toxoplasma gondii | |
ネオスポラ症 | Neospora spp. | |
*疫学的所見からヒトへの感染は考えにくいとされている。 | ||
**ヒツジも実験的に感染することから野外での感染の可能性が疑われている。 |
表2 ドナー豚から排除すべきウイルス |
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