1. BSEのスクレイピー起源説の否定:英国BSE調査委員会報告 |
前々回(第108回)の講座で簡単に触れましたが、英国BSE調査委員会報告が2000年9月に発表されました。アンドリュー・フィリップス卿Lord Andrew Philippsを委員長とするもので、通称フィリップス・レポートと呼ばれています。アンドリュー・フィリップスはイングランドとウエールズにおけるNo. 2法律家だそうです。 今回、報告書のCD-ROMを入手し、ひととおり眺めてみました。容量は383MB、16巻から成り、全部で4800ページ近い膨大なものです。第1巻は知見と結論(約300ページ)、第2巻はScience(250ページあまり)というタイトルで科学的知見がまとめられています。 この第2巻にBSEの起源について、委員会の考え方がくわしく述べられていますので、それをご紹介します。 結論は明確であって、BSEの起源は永久に分からないだろうということです。それに加えて、推測として、スクレイピーから来たものではなく、もともと牛に存在していたものが変異を起こしたという見解を明言しています。 1986年にBSEの存在が初めて見いだされた時、英国中央獣医学研究所の疫学部長ジョン・ワイルスミスJohn Wilesmithは、疫学的分析から1987年末にこれがくず肉を原料として作った肉骨粉により広がったものと推測しました。この推測が非常に早い時点でなされたことを、フィリップス報告は高く評価しています。この推測にもとづいて、肉骨粉の飼料としての利用が禁止され、現実に英国でのBSE発生は著しく減少してきています。 ワイルスミスはさらに、肉骨粉に混入してBSEを起こしたのは羊で流行しているスクレイピーであろうと推測したのです。ところが、フィリップス・レポートではこの推測は間違っていると断定されました。公式にこのような見解がだされたことに私も驚きました。たまたま昨年暮れに、英国BBSRC(Biotechnology and Biological Science Research Council)の理事長のレイモンド・ベイカーRaymond Baker教授に会った際に、この結論について彼の意見を尋ねたところ、仮説は複雑なものより単純な方がよいというを感想を述べておられました。これもひとつの見方かと思います。 ところで、ワイルスミスのスクレイピー起源説は、まず1986?88年にかけてBSEが初めて出現したものであるという前提です。次に1970年代から80年代にかけて肉骨粉を製造する、いわゆるレンダリングの工程がバッチ方式から連続方式に変更され、さらに1970年代に有機溶媒の使用が中止されたことが、もうひとつの前提です。とくに有機溶媒の中止時期がBSEの潜伏期から逆算して、これが原因になった可能性を重視しています。もうひとつの要因として、当時、英国でスクレイピーの発生が増加していたことです。このような複合要因がスクレイピーの肉骨粉への混入を招いたと推測したわけです。 ワイルスミスのスクレイピー起源説は広く受け入れられてきていました。当時から、もうひとつの仮説として、牛の間にもともとBSEが存在していたというものがありましたが、これはあまり受け入れられませんでした。 フィリップス・レポートは後者に近い立場をとっています。 まず、ワイルスミスの説への反論として、1986〜88年に発生してきたBSEは初発例ではなく、もっと以前からBSEは存在していたと述べています。レンダリングの方式の変更はBSE発生には関係がなく、BSEはおそらく1970年代に、多分、1頭の牛で遺伝子変異の結果、出現した新しい病原体によるものと結論しています。その起きた場所はイングランド南西部だろうとも述べています。 BSEがスクレイピー由来であれば、スクレイピー・プリオンが、羊から牛へと種の壁を越えて牛のプリオン蛋白をBSEプリオンに変えたことになり、牛由来の新しいプリオンであれば種の壁を越える必要はないことになります。どちらにしても大流行を起こした原因が肉骨粉であることは間違いありません。 このような推論の背景について、私なりに考察してみます。 レンダリング方式の変更については、英国家畜衛生研究所のデイヴィッド・テイラーDavid Taylorがレンダリング協会と共同でシミュレーション実験を行っています。くず肉にスクレイピーを添加し、いろいろな方式でレンダリングを行って、スクレイピー感染性をマウス脳内接種で確かめたきわめて大規模な実験です。その成績はVeterinary Record Vo. 141, 643, 1997に発表されており、それによればバッチ式、連続式であれ、肉骨粉中にスクレイピー・プリオンが不活化されずに残っていました。さらに、有機溶媒処理を行っても不活化されていません。ワイルスミスがスクレイピー起源説の大きな根拠とした有機溶媒処理は、スクレイピーの不活化には関係がないという結果でした。そこで、テイラーはスこの論文の中でクレイピー起源説は否定的と述べています。なお、ついでですが、レンダリングで肉骨粉を作る際に抽出される脂肪の部分、いわゆるtallow獣脂はグリセリンをはじめ多くの医薬品の原料に利用されています。この獣脂の部分には、どのようなレンダリング方式でも感染性は見つかっていません。 また、現在少なくとも20株くらいのスクレイピー・プリオンがあります。ところが、英国家畜衛生研究所のモイラ・ブルースMoira Bruceたちが行った近交系マウスでの株のタイピング(本講座第57回)ではどれひとつとして、BSEプリオンの性状を示すものは見つかっていません。しかもBSEプリオンはスクレイピー・プリオンよりもはるかに熱に強い性質です。これらの知見もスクレイピー起源説に疑問を投げかけています。 一方、牛起源説は、かって米国で牛の死体を餌として与えられていたミンクにスクレイピーとは異なるBSE様のものが感染したらしいという報告にもとづいたものでした。今回のフィリップス・レポートはそれには触れず、単に変異がかかわっている可能性を述べているだけです。これまで存在していたBSEプリオンに変異が起きて病原性の強いものになったという考えのようですが、はっきりは言っていません。もちろん、この考えに科学的根拠はまったくありません。 牛起源説は、BSEが孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病のように、動物でも自然発生があるかもしれないという議論にも結びつく可能性があります。これまでに見つかっている動物のプリオン病はすべて感染によるものです。もしも自然発生があるとすると、ニュージーランドやオーストラリアのように、何十年にもわたってスクレイピー・フリーの国の羊でもスクレイピーの自然発生が起こる可能性があるかもしれないことになり、大変なことになります。逆に人の孤発性クロイツフェルト・ヤコブ病は本当に自然発生なのか、それとも生後、ある時期に感染因子にさらされたためではないかという議論もあります。 くどい議論になってしまいましたが、結局、現時点ではスクレイピー起源説、牛起源説いずれも、それぞれを支持する科学的証拠はありません。単なる推論に過ぎないことになります。ベイカー教授の言うように、法律家であるフィリップス卿は単純な仮説の方を採用したのかもしれません。 |
2. BSE牛の検査 |
英国では1996年3月、いわゆる「狂牛病パニック」が起きた際に、肉骨粉の飼料としての利用をすべての家畜に対して禁止し、それとともに30ヶ月令以上の牛をすべて殺処分する方針を打ち出しました。これはOver Thirty Months Slaughter Scheme (OTMS)と呼ばれるものです。その根拠はBSEの感染性が3才令以上の牛で初めて見つかることです。しかし、実際には30ヶ月令の時に牛の歯並びが変わって年齢が見分けやすいために30ヶ月が採用されたわけです。この方式で、昨年夏までに425万頭の牛が殺処分されています。40万3000頭は直接焼却され、残りはレンダリングにまわされ、できてきた肉骨粉(約46万トン)と獣脂(20万トン)は廃棄される予定になっています。 フランスでは、2000年7月から病死または事故死の牛について異常プリオン蛋白の検査を含めた新しいBSE摘発計画を開始し、さらにそれを屠畜検査にも拡大しました。なお、現在では30ヶ月令以上の牛はすべて屠畜検査で異常プリオン蛋白の検査を受けることになっています。 なお、最近フランスでBSE牛の数が著しく増加している理由のひとつに、このような生化学的検査法が加わったことにより検出率が高くなったためという意見もあります。 この異常プリオン蛋白の検査法について、欧州協議会European Commissionは4つの方法について評価を行い、その成績を1999年7月8日に発表しています。(The evaluation of tests for the diagnosis of transmissible spongiform encephalopathy in bovines)。それについてご紹介します。 評価にあたっては、自然感染で臨床症状が出ている牛の脳幹と脊髄を陽性サンプル、BSE、スクレイピーともにフリーのニュージーランドで採取した健康な牛のものを陰性サンプルとして、ベルギーの共同研究センターが調整し、次の4社にコード番号だけをつけて配布し試験を依頼しています。いわゆるブラインドテストです。そして、感受性(陽性と判定されたサンプル数/既知の感染動物数)、特異性(陰性と判定されたサンプル数/既知の非感染対照動物数)、希釈度、再現性の面で評価が行われました。その結果を簡単にまとめると、以下のようになります。なお、それぞれの検査方法の詳細は企業秘密もあって、くわしいことは発表されていません。
このほか、いくつかのキットが開発されているようですが、現在ヨーロッパで検討が進んでいるのは上記のものです。 ところで、前回ご紹介したフランスでのBSE騒ぎがヨーロッパ全体に波及し、その結果、EUは30ヶ月令以上の牛はすべて異常プリオン蛋白の検査を行い、陰性が確かめられないかぎり、食肉に回してはいけないという方針を決定したと伝えられています。EU加盟国すべてが実施するのかどうかは分かりませんが、今年の7月から実施のようです。 現在、スイスやフランスでは前に述べたように30ヶ月令以上の病死牛と事故死牛に対してのみ実施していますが、今度は対象がすべての30ヶ月令以上になるものと思われます。 どの試験法を採用するのか、EUで妥当と思われる試験法を正式に評価して決めるのかはまだ、よく分かりません。上で述べた評価結果についても、これはヨーロッパ協議会の正式意見ではないという断り書きがあります。 |