144. この2年間に読んだ興味ある本

みすず書房の月刊誌「みすず」の1,2月合併号は読書アンケートの特集で、多数の執筆者が、前の1年間に読んだ本の中で興味があったものを紹介しています。2021年と2022年の1/2号に掲載された私の記事を転載します。

みすず1/2号、2021

1.メレディス・ワッドマン『ワクチン・レース——ウイルス感染症と戦った科学者、政治家、そして犠牲者たち』佐藤由樹子訳、羊土社、2020。

ヒト胎児の細胞の研究から、細胞の分裂には限界があることを指摘して、長寿学の道を切り開いたヘイフリックは、彼が樹立したヒト胎児細胞株はワクチン開発に大きな貢献をした。しかし彼自身は、細胞株の所有権について国との壮絶な争いに巻き込まれた。その背景に細胞培養ワクチンの開発競争があった。

2.ポール・J・スタインハート『第2の不可能を追え——理論物理学者、ありえない物質を求めてカムチャッカへ』斉藤隆央訳、みすず書房、2020。

世界をまたにかけての旅で、ありえない結晶をついに見いだした科学者のロマン。ウイルス学でも、熱湯中で増えるウイルスや3万年も冬眠していたウイルスなど、似たような物語がある。

3.安達太郎、小塩海平、藤原辰史『農学と戦争——知られざる満州報告農場』岩波書店、2019。

満州国では、日本人の入植を進めるために各地に報国農場が設けられた。東京農大はここで学生の実習を行う大陸移駐化を1944年から始めた。しかし翌年には敗戦を迎え、学生たちは取り残された。戦時中の埋もれた農業史の一コマがやっと明らかになった。

4.ダニエル・インホフ『動物工場——工場式畜産CAFOの危険性』井上太一訳、緑風出版、2016.

世界的な動物性食品の需要増加は、生きた動物を単なる乳、卵、肉の生産単位とした工場畜産を生みだした。そこでは、動物は監禁された環境で一生を終えている。健全な食の定義はどのように考えたらよいのだろうか。

5.手塚洋輔『戦後行政の構造とディレンマ——予防接種行政の変遷』藤原書店、2010。

1948年に制定された予防接種法は罰則付き強制接種制度という世界一厳しい法制度だった。1994年の改正で社会防衛から個人防衛に重点が移され、接種の決定は個人が責任を負うことになった。行政は接種環境を整備することになったが、感染のまん延予防の責任と副反応発生の予防の責任というディレンマと向き合わなければならない。新型コロナのワクチンの緊急接種も例外ではない。

みすず1/2号、2022

1.デイビッド・クアメン(甘糟智子訳)『スピルオーバー:ウイルスはなぜ動物からヒトへ飛び移るのか』明石書店、2021

本書は、2012年に出版された世界的ベストセラーで、数多くの第一線の研究者へのインタビューや現場での取材を通じて執筆されているため、臨場感があふれている。新型コロナのパンデミックの最中にある現在、必読の書といえよう。新興感染症のほとんどは、野生動物からの病原体のスピルオーバー(異種間伝播)により発生する。著者は、生態学的視点から、世界人口の激増がもたらす生態学的圧力と混乱がスピルオーバーを起こしているという主張を展開している。チンパンジーからのスピルオーバーでヒト免疫不全ウイルスが生まれた過程を追った、仮想の「エイズ患者ゼロ号」の旅路は、驚くほどリアリティーに富んだ物語として、本書のハイライトとなっている。

2.ハイジ・J・ラーソン(小田嶋由美子訳)『ワクチンの噂:どう広まり、なぜいつまでも消えないのか』みすず書房、2021

反ワクチン運動の歴史は古く、19世紀半ば、強制的種痘への反発から起こり、現在に続いている。それにしても、本書に紹介されている、反ワクチンの噂がSNSなどを通じて山火事のように広がっている現状にはただただ驚かされる。ワクチンは、その宿命として、公衆衛生と個人の権利に関わる問題に直面してきた。著者は人類学者の視点から、反ワクチンの動きの背景に、今日の情報社会における反グローバリゼーション、国家主義、ポピュリズムなどが絡んでいると指摘している。

3.R.E.ニュースタット、H.V.ファインバーグ(西村秀一訳)『ワクチン いかに決断するか』藤原書店、2021

1976年1月米国でブタインフルエンザウイルス感染の発生が確認された。スペイン風邪の再来の可能性が否定できないという専門家の見解を受けて、フォード大統領は、全国民へのワクチン接種を決断した。10月から開始されたワクチン接種では、2週間で4000万人が接種を受けたが、ブタインフルエンザウイルスの流行は起こらず、まれな副反応の出現がきっかけになって接種は中断された。このワクチン接種事業における連邦政府の政策決定について、保健教育福祉省長官の依頼を受けて、政治学者と公衆衛生専門家が調査した報告書の内容が、本書で詳しく紹介されている。膨大な文書とインタビューにもとづいて作成された、この報告書から得られた教訓は、米国の新型コロナ対策にも生かされている。日本の政治家や官僚に是非読んでもらいたい。