24.「口蹄疫の正しい知識 10.マーカーワクチン:殺すためのワクチンから生かすためのワクチンへ」

口蹄疫ワクチンの最初は1926年にフランスで試みられましたが、あまりはっきりした効果は見られませんでした。口蹄疫ワクチンの第一世代は1937年に連載2で紹介したフリードリヒ・レフラー研究所のオットー・ヴァルトマン(Otto Waldmann)教授が感染した牛の舌の粘膜を乳剤にしてホルマリンで不活化したワクチンとみなされています。しかし、このワクチンを作るのには多数の牛にウイルスを感染させなければならないという欠点がありました。

第二世代のワクチンは1951年にオランダのフレンケル(H.S. Frenkel)教授が開発したものです。これは、屠畜場から健康な牛の舌を集めて上皮組織を培養し、それにウイルスを接種し、増えたウイルスをホルマリンで不活化したワクチンですこれはフレンケルワクチンと呼ばれました。

第三世代のワクチンは、1962年にIAHパーブライト研究所でハムスター腎臓由来のBHK21細胞が口蹄疫ウイルスの増殖に適していることが報告されたことから生まれました。牛の舌ではなく、継代細胞をタンク培養することにより、大量生産が可能になったのです。さらに連載6で述べたフレッド・ブラウンが1963年にホルマリンよりもアセチル・エチレンイミンの方が不活化効果に信頼性があることを見いだし、この方法によるワクチンが現在も用いられています。私は1980年代終わり、フランスのリヨンのローヌ・メリュー(現在のメリアル社)の工場で、このワクチンの製造状況を見せてもらったことがあります。

現在は第四世代のワクチンになっています。これは第三世代のワクチンを精製したもので、一般にマーカーワクチンと呼ばれています。

マーカーワクチンが生まれるにいたった経緯を説明したいと思います。ウイルス感染症に対して、もっとも効果的な対策はワクチンです。口蹄疫ウイルスと同じグループに属するポリオはワクチンにより日本でも完全になくなっています。ところが、口蹄疫対策ではウイルス汚染のないことを確かめるために抗体検出によるサーベイランスが行われています。ワクチンを接種した動物で産生される抗体と感染で産生される抗体の区別ができないため、OIEの国際規約ではワクチン接種動物も感染動物と同様にみなされてきました。ワクチンを接種してウイルスの広がりを抑えたのち、ワクチン接種動物も殺さなければならなかったのです。

そこで、取り上げられたのがマーカーワクチンです。昔からワクチンを接種したのに感染してしまったという問題はいろいろなワクチンで起きていました。ワクチン接種と感染を区別するために、ワクチンになんらかの目印を付けたのがマーカーワクチンで、新しいワクチンが開発された際に必ずマーカーがあるかどうかが議論されています。別に口蹄疫だけではありません。

口蹄疫ワクチンで考え出されたマーカーは、ウイルスの遺伝子が作るタンパク質のうち、ウイルス粒子には含まれない非構成タンパク質(NSP: non-structural protein)を利用することでした。図で簡単に示しましたが、口蹄疫ウイルスの遺伝子の設計図からいくつものタンパク質が作られますが、ウイルス粒子を構成するのはVP1-4の4つのタンパク質です。NSPはウイルスが増殖するために働きますがウイルス粒子には含まれていません。ワクチンを精製してNSPを除いたものにすれば、そのワクチン接種動物ではNSP抗体は産生されてきません。感染した動物ではNSP抗体が産生されますので、NSP抗体が陽性であれば感染動物、陰性であれば感染していないということになります。すなわち、NSPが含まれていない点がマーカーという訳です。

このアイディアによるマーカーワクチンの研究は1990年代前半から始まっていました。それが本格化したきっかけは2001年の英国での口蹄疫大発生でした。この点は私が2001年に書いた人獣共通感染症116回でも紹介しています。また、さらに詳しい内容は最近発行された科学(岩波書店)7月号で紹介してあります。現在口蹄疫ワクチンの多くはマーカーワクチンです。宮崎で用いられたのも同じです。

マーカーワクチンではNSP抗体の検出に信頼性がなければなりません。そのため、NSP抗体を検出する検査法の開発は1994年からEUの支援のもとに始まっており、2001年には最初の市販の検査キットについて、5000頭ほどの家畜の血清についての信頼性確認の成績がOIEのアジア地域会議で報告されました。

マーカーワクチンを接種し、NSP抗体が陰性であることを確認すれば殺さなくてすむようになったのです。OIEは2002年の総会でNSP抗体陰性が確認されれば6ヶ月で清浄国に戻れるという条件を承認しました。

そののち、ヨーロッパ各国ではNSP抗体検査法の信頼性確認について、精力的な研究を行ってきています。市販検査キット4種類と自家製検査キット2種類についての国際的比較試験の成績も発表されています。

英国、ノルウェー、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドはこのマーカーワクチンのシステムの採用を決定したと、私が学術顧問を務めているOIEの科学技術情報誌(2007年)で述べられています。

今回の宮崎での発生では、マーカーワクチンという言葉はまったく聞かれませんでした。NSP抗体の市販検査キットの信頼性の確認も行われていなかったものと推測しています。

 

文献

an Aarle, P.: The use of a 3ABC marker-test for FMD. 22nd Conference of the OIE Regional Commision for Asia, the Far East and Oceania. Nepal, 2001.

Lombard, M. & Fuessel, A.-E.: Antigen and vaccine banks: technical requirements and the role of the European antigen bank in emergency foot and mouth disease vaccination. Re. Sci. Tech. OIE, 26, 117-134, 2007.

Lombard, M., Pastoret, P.-P. & Moulin, A.-M.: A brief history of vaccines and vaccination. Rev. Sci. Tech. OIE, 26, 29-48, 2007.

Brocchi, E., Bergmann, I.E., Dekker, A. et al.: Comparative evaluation of six ELISAs for the detection of antibodies to the non-structural proteins of foot-and-mouth disease virus. Vaccine, 24, 6966-6979, 2006.