160.ポリオ根絶計画の新たな局面

ポリオ根絶計画の変遷

 

ポリオウイルスは、天然痘ウイルスと同様に、ヒトだけが宿主であるため、1980年天然痘根絶が宣言された時から次ぎの根絶対象のひとつとして検討され、1988年の世界保健総会でGlobal Polio Eradication Initiative (世界ポリオ根絶イニシアチブ)が発足した。ポリオウイルスには1,2,3型があるため、この計画では3つの型のウイルスすべてを2000年までに根絶を達成することを目指した(本講座31)。

 

目標より大分遅れて、2型ポリオウイルスは2015年に根絶され、3型ウイルスは2019年に根絶された。そして、2型ウイルスのワクチンと3型ウイルスのワクチンの接種は、相次いで中止された。1型ウイルスは、最近1年間の発生がアフガニスタンとパキスタン,モザンビークで合わせて21例にまで減っていて、根絶に近づいている。

 

ウイルスの根絶が進むうちに、新しい問題が浮上した。根絶計画で用いられているセービンの経口生ポリオワクチン(OPV)は、腸管で増殖し、糞便に排出されるため、ワクチンウイルスが免疫のないヒトの間で広がる。野生型ウイルスが根絶されても、ワクチン由来ポリオウイルス(vaccine derived poliovirus: VDPV)が健康者の間で循環し続け、時には毒力が復帰して麻痺性ポリオを起こすリスクが明らかになったのである。

 

2013年には、ポリオ根絶・エンドゲーム戦略計画(Polio Eradication and Endgame Strategic Plan)が新たに発足した。これは、ポリオ1型の根絶に加えてVDPVとワクチン関連麻痺性ポリオの管理を目的としたものである(1, 2, 3)。

 

緊急接種されている新型(novel)経口2型ポリオワクチン(nOPV2)

 

VDPVは2016年から2021年の間で、1型ワクチンで83例、2型ワクチンで1728例、3型ワクチンで6例、2型と3型ワクチンの組換えによるものが1例見いだされていた。2型VDPVの発生が大部分を占めているのは、最初にワクチン接種が中止されたためと考えられる。

 

VDPVの発生を減少させるために、毒力復帰が起こりにくいnOPV2が開発された。ポリオウイルスのゲノムには5‘非翻訳領域、カプシドタンパク質をコードする領域、非構造タンパク質領域、3’非翻訳領域が存在する。毒性の復帰は、5‘非翻訳領域の一部の変異により温度感受性が失われることことが主な原因で、そのほかに3’非翻訳領域の一部の変異によりほかのエンテロウイルスと組換えを起こすことも原因と考えられている。そこで、5‘非翻訳領域と3’非翻訳領域の一部構造を改変して、変異が起きにくい遺伝的に安定なワクチン(nOPV2)が構築された(本講座129)。

WHOは野生型ポリオウイルスとVDPVの広がりに対して、「国際的に懸念される公衆衛生上の危機」を2014年に宣言していた。2020には1082例のVDPVによる急性弛緩性麻痺例が発生した(4) 。2021年3月からは、バングラデシュで行われていた臨床試験の成績が出るのを待たずに、nOPV2の緊急使用が始まり、これまでに30カ国で6億5000万ドーズが接種されている。乳幼児での第2相臨床試験での安全性の確認は2023年に発表された(5)。

 

欧米、日本など高所得国は、生ワクチンの使用を中止し、不活化ワクチンに切り替えている。それでもVDPVによる麻痺性ポリオは、イスラエル・エルサレムでは2022年2月、米国ニューヨークでは7月にそれぞれ1例ずつ見いだされた。これらは輸入されたVDPVによるものと考えられている。一方、英国、カナダ、イスラエル、米国では下水中にVDPVが検出されていて、ウイルスが一部で循環している可能性は否定できない。

 

新型経口1型ポリオワクチン(nOPV1)と新型経口3型ポリオワクチン(nOPV3)の開発

 

2023年5月には、1型と3型の新型経口ワクチンの開発が報告された。ワクチンの免疫源となるのはカプシドタンパク質なので、nOPV2のカプシドタンパク質を、1型ポリオウイルスまたは3型ポリオウイルスのカプシドタンパク質に置き換えたものである。

 

これらのワクチンは、2型ワクチンと同様に、弱毒性が安定していることが確認され、ヒト型マウス*での試験で有効性が見いだされている(3,4)。

 

*野本明男東大教授らが見いだしたポリオウイルス受容体PVR遺伝子が導入されたマウス

 

このマウスでは、3つの型のワクチンを混合して接種した場合、それぞれの型のウイルスに対する抗体が産生され、ウイルス間での干渉は起きていなかった。そこで、3種混合のnOPVの利用が期待されている(3)。

糞便へのワクチンウイルスの排出は、排出されたウイルスの毒力復帰という欠点は認識されていたが、ワクチンの接種効率がきわめて大きくなることから利点とみなされていた。根絶が進んだ現在、利点・欠点の関係は逆転してきたのである。

文献

 

  1. Ledford, H.: Spate of polio outbreaks worldwide puts scientists on alert. Nature, 609, 1 September, 2022.

 

  1. Editorial: Vaccine-derived polio is undermining the fight to eradicate the virus. Nature,618, 434, 2023.

 

  1. Barrett, A.D.T.: Close to the finish of the polio endgame. Nature, June 14, 2023.

 

  1. Yeh, M.T et al.: Genetic stabilization of attenuated oral vaccines against poliovirus types 1 and 3. Nature, June 14, 2023.

 

  1. Zaman, K. et al.: Evaluation of the safety, immunogenicity, and faecal shedding of novel oral polio vaccine type 2 in healthy newborn infants in Bangladesh: a randomised, controlled, phase 2 clinical trial. Lancet, 401, 131-139, 2023.