170. 第2世代のファージ療法

前回(169回)の記事で、、ファージ療法の全体像を紹介した。今回は治療を⽬的としたファージ療法の現状と問題点を整理してみる。

 

進み始めた臨床試験

ファージ療法は1938年、グルジア(現・ジョージア共和国)のエリアヴァ・バクテリオファージ・細菌学・ウイルス学研究所で本格的に始まり、第2次世界⼤戦中は、ソ連やドイツなどで広く⾏われていた。この時代のファージ療法は、ほとんどが⾚痢に対する経⼝投与と⽕傷への塗布だった。1940年代終わりからペニシリンなどの抗菌薬の普及により、ファージ療法の第1世代は終わった。

 

20 世紀終わり頃から、薬剤耐性菌のまん延が問題になり、ファージ療法は第2世代を迎えた。2016年のトム・パターソンの症例(本連載169回)をきっかけに治療⽬的のファージ療法の臨床試験が増加している(図)。その内の主なものを紹介する。

 

 

英国では、緑膿菌による慢性⽿炎の患者6名で、最初の2重盲検臨床試験が⾏われ、2009年に細菌数が有意に減少したという報告が発表された。(1)

 

⽶国では、最初のファージ療法の第1相臨床試験が、静脈のうっ⾎による慢性の下腿潰瘍の患者42名で、緑膿菌、⻩⾊ブドウ球菌、⼤腸菌に対して⾏われ、安全性に問題は⾒られなかったという成績が2009年に報告された。有効性は触れられていない。(2)

 

IPATH(Innovative Phage Application and Therapeutics)センター(本連載169回)は、2018年6⽉に設⽴以来、2020年4⽉末までに785件のファージ療法の申請を受け付けていた。その内訳は、3分の1が緑膿菌、⻩⾊ブドウ球菌、およびマイコバクテリウム・アブセサス(⾮結核性抗酸菌の⼀種)に対するものである。これらの中から、119例がファージの探索を勧められ、99例でファージ探索が⾏われた。感染菌に適合したファージが⾒つかったのは47例で、最終的に⾷品医薬品局(FDA)から緊急使⽤の承認を受けて静脈注射によるファージ療法が⾏われたのは17例である。治療に辿りつくまでのファージ探索の状況が興味深い。2020年9⽉、10名の患者の詳細な成績が発表された。7例で治療が成功し、静脈注射によるファージ投与の安全性と有効性が⽰唆されている。(3)

 

2019 年1⽉、IPATHセンターは、FDAから3種類のファージの混合剤(カクテル)を⽤いた第1/2相臨床試験の承認を受けた。この試験は、補助⼈⼯⼼臓(VAD)を装着していて薬剤耐性の⻩⾊ブドウ球菌に感染した10名の患者を対象として、安全性、忍容性(薬剤の副作⽤の許容限度)、有効性を調べるものである。VADのように体内に埋め込まれた装置の周りには、細菌による膜状の集合体(バイオフィルム)ができやすい。バイオフィルムを形成した細菌には抗菌薬は効きにくいので、患者は⼼臓移植に不適格となる。この試験は、静脈注射によるファージ療法の臨床試験としては⽶国で最初のものである。IPATHセンター⻑のステファニー・スタラトゥディーは、「この試験は細菌感染を起こしやすい股関節や膝関節の置換⼿術を受けた⼈たちなど、ほかの病気の患者にとっても重要な意味がある」と語っている。(4)

 

2022 年11⽉、IPATHセンターは、多剤耐性緑膿菌に感染した肺線維症の患者に対するファージ療法についての第1/2相臨床試験の承認を受けた。緑膿菌は⼟壌や⽔中に存在する細菌で外科⼿術の後、⾎液、肺などで感染を起こしやすい。

 

ファージ療法が抱える問題

細菌ウイルスであるファージの増殖様式は、動物ウイルスとは異なる。動物ウイルスは細胞表⾯の受容体に吸着して細胞内に侵⼊し、タンパク質の殻を脱ぎ捨て、放出されるDNAまたはRNAに基づいて⼦ウイルスが産⽣され、細胞が破壊される。ファージは、図に⽰したように、細⻑い尾⽑が細菌壁に存在する受容体に吸着し、壁を抜け、細胞膜を突き破って細菌細胞に侵⼊する。ついで、頭部に詰め込まれたDNAが細胞質内に注⼊されて、⼦ファージが産⽣され、細菌が溶解される。

 

細菌は35億年前からファージと共に進化してきていて、ファージに対抗するために、動物ウイルスの場合とは異なるさまざまな防御⼿段を獲得してきた。その主なものとして、受容体遺伝⼦の変異、制限修飾系、クリスパー・キャス(CRISPR/Cas)・システムがある。受容体遺伝⼦の変異はファージの吸着を阻⽌する。制限修飾系は、細菌が⾃分のDNAには修飾を加えていて、修飾のないファージDNAを異物とみなして制限酵素で切断するシステムである。クリスパー・キャス・システムでは、細菌DNAのクリスパーと名付けられた領域に、過去に感染したファージDNAの断⽚が挿⼊されていて、この配列を持つファージが再感染すると、クリスパー領域の近くに存在するキャスと呼ばれる⼀群の遺伝⼦がコードするキャス・タンパク質がファージDNAを切断する。制限修飾系は⾃然免疫、クリスパー・キャス・システムは獲得免疫とみなされている。ファージ療法はこれらの防御網を突破しなければならない。(制限酵素の発⾒から組換えDNA技術が開発され、クリスパー・キャス・システムの発⾒からゲノム編集技術が開発された。)(5, 6)

 

中和抗体の関与を⽰唆する症例が、2024年、ピッツバーグ⼤学のチームから報告された。患者は57歳の⼥性で、2013年以来、多剤耐性菌に有効なバンコマイシンに耐性の腸球菌(エンテロコッカス・フェシウム)による敗⾎症を7年間にわたって繰り返していた。腸球菌は、腸管内に常在する⽇和⾒感染菌で健常⼈では無害だが、免疫機能が低下した⼈では重い症状を⽰す。患者の容態が悪化したため、FDAから緊急使⽤の許可を受け、ファージの静脈注射と経⼝投与による治療が⾏われた。24時間以内に患者の⾎液には細菌の増殖の徴候がなくなり、患者は旅⾏に⾏くことができるまでに回復した。しかし、1年あまり後、ふたたび細菌の⾎流感染が再発した。患者から分離したファージでは活性の減少は⾒られなかった。⼀⽅、患者の⾎液にはファージに対する中和抗体が出現し、同時に⾎液中にバンコマイシン耐性腸球菌が増加していたことから、中和抗体がファージの活性を阻⽌した可能性が疑われた。ファージ療法を中⽌してから7ヶ⽉半後、彼⼥は死亡した。(7)

 

別の問題として、グラム陰性菌の細胞壁に含まれるエンドトキシン(内毒素)がある。ファージにより細胞壁が破壊されるとエンドトキシンが放出されてサイトカインによる過剰な免疫反応や臓器不全といった、敗⾎症性ショックを起こす可能性が考えられるのである。現実には、東欧諸国で数⼗年にわたって⾏われてきたファージ療法では敗⾎症性ショックは報告されていない。トム・パターソンの場合にも敗⾎症が原因のエンドトキシン放出は⾒つかっていない。(8)

 

ファージバンク

ファージは⼟壌、河川、下⽔、海洋など、地球上いたるところに存在している。ファージ療法のために、ファージ探索やファージ・バンクのネットワーク構築などの動きが進んでいる。ファージの分離、培養は⽐較的安価なので、アフリカでは、少なくとも13カ国の研究グループがファージの分離を⾏っている。現在、存在している主なファージ・バンクを表にまとめてみた。(9)

 

設立 備考
国立タイプカルチャー・コレクション(NCTC) 英国 1920 研究用生物資源バンク
アメリカ・タイプ・カルチャー・コレクション(ATCC) 米国 1925
ドイツ微生物・培養細胞コレクション(DSMZ) ドイツ
エリアヴァ・バクテリオファージ・細菌学・ウイルス学研究所 グルジア 1938 ファージ療法

(第1世代)

ハーシュフェルト免疫学・実験治療研究所 ポーランド 1952
フェリックス・デレーユ細菌ウイルス・レファレンス・センター カナダ 1982
クイーン・アストリッド軍病院 ベルギー 2007 ファージ療法

(第2世代)

米国海軍医学研究センター 米国
ウォルター・リード陸軍研究所 米国
SEA-PHAGES (ピッツバーグ大学) 米国 2010
韓国バクテリオファージ・バンク 韓国 2010
オーストラリア・ファージ・バイオバンキング・ネットワーク オーストラリア
イスラエル・ファージ療法センター イスラエル 2018
ファーゲンバンク オランダ 2019
エクセター・ファージ療法シティズン・サイエンス・プロジェクト

(エクセター大学)

英国 2021

 

文献
1. Wright, A. et al.: A controlled clinical trial of a therapeutic bacteriophage
preparation in chronic otitis due to antibiotic-resistant Pseudomonas
aeruginosa; a preliminary report of efficacy. Clinical Otolaryngology, 34,
349-357, 2009.

2. Rhoads, D.D. et al.: Bacteriophage therapy of venous leg ulcers in humans:
results of a phase I safety trial. Journal of Wound Care, 18, 240-243, 2009.

3. Aslam, S. et al.: Lessons learned from the first 10 consecutive cases of
intravenous bacteriophage therapy to treat multidrug-resistant bacterial
infections at a single center in the United States. Open Forum Infectious
Diseases, 2020 Aug 27;7(9):ofaa389. doi: 10.1093/ofid/ofaa389

4. UCSD researchers get OK from FDA for first trial of IV phage therapy.
https://www.healio.com/news/infectious-disease/20190110/ucsd
researchers-get-ok-from-fda-for-first-trial-of-iv-phage-therapy

5. Maciejewska, B. et al.: Applications of bacteriophages versus phage enzymes
to combat and cure bacterial infections: an ambitious and also
a realistic application? Applied Microbiology and Biotechnology (2018)
102:2563‒2581

6. Dicks, L.M.T. et al. : Bacteriophage-host interactions and the therapeutic
potential of bacteriophages. Viruses, 2024, 16, 478.
https://doi.org/10.3390/v16030478

7. Stellefox, M.E. et al.: Bacteriophage and antibiotic combination therapy for
recurrent Enterococcus faecium bacteremia. mBio, Feb. 14, 2024
Volume 15, No. 3 e03396-23.

8. Phage 101.
https://sites.medschool.ucsd.edu/som/medicine/divisions/idgph/research/c
enter-innovative-phage-applications-and
therapeutics/research/Pages/Phage%20101.aspx

9. Nagel, T. et al.: Phage banks as potential tools to rapidly and cost-effectively
manage antimicrobial resistance in the developing world. Current Opinion in
Virology, 53: 101208, 2022.