187. 霊長類医科学センターと予防衛生協会の半世紀              ——マールブルグ病、輸入サル検疫、そして日本のバイオセーフティ対策

1967年、西ドイツで発生したマールブルグ病は、野生由来サルを医学研究に用いることの危険性を世界に突きつけた。この衝撃は、日本における輸入サル検疫、実験用霊長類の繁殖体制、そしてバイオセーフティ対策のあり方を大きく変える契機となった。

その流れの中で生まれたのが、筑波医学実験用霊長類センター(TPC)であり、その運営を支える組織として設立された予防衛生協会であった。本稿では、私自身が関わった経験をもとに、この二つの組織の半世紀を振り返りたい。

なお、TPCは、2005年、国立感染症研究所(元・国立予防衛生研究所)から分離して、独立行政法人医薬基盤研究所に移管され、現在は、国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所の一部門になり、霊長類医科学センターが正式名称になっている。本稿では、私にとってなじみ深いTPCを用いる。

 

1.マールブルグ病と筑波医学実験用霊長類センターの誕生

野生ザルを実験に用いる危険性

私は、一九六五年国立予防衛生研究所(予研、現・国立感染症研究所)の麻疹ウイルス部に入所してすぐ、人獣共通感染症の問題に直面した。予研では一九六〇年代はじめからポリオワクチンの検定と研究のために多数のカニクイザルを用いていた。麻疹ウイルス部でも麻疹ワクチンの検定と、研究のために同様にカニクイザルを用いることになった。

マウスやモルモットのような実験動物と異なり、これらのサルは東南アジアから輸入した野生のものである。野生のサルは赤痢菌や結核菌といった危険な病原体にしばしば感染している。とくに大きな問題はヘルペスBウイルスであった。これはヒトの単純ヘルペスウイルスと非常に近縁のウイルスである。単純ヘルペスウイルスはわれわれのほとんどが子供の時に感染し、ウイルスは一生のあいだ、神経細胞に潜伏している。ストレスなどの刺激でウイルスは活性化されて上皮細胞に移り、そこでヘルペス潰瘍を作る。

Bウイルスも同様で、多くのサルの神経細胞の中に潜伏している。活性化すると、口腔粘膜などに潰瘍を形成する。潰瘍ができている際にはウイルスは唾液に含まれていて、これに感染すると七〇%ぐらいのヒトが死亡する。回復しても、ほとんどが重い麻痺などの後遺症に悩まされる。現在は、アシクロビルという効果的な薬剤があるが、当時、治療法は皆無だった。

そこで、輸入したサルの検疫では、検便による赤痢菌の検査、ツベルクリン試験による結核の検査に加えて、サルの口腔粘膜についてBウイルス感染が疑われる潰瘍の有無を調べていた。

実際に予研では、一九七二年にインドネシアから輸入したカニクイザルの口腔内潰瘍からBウイルスが分離されたことがあった。

サルの病原体汚染の問題に対処するために、予研の実験動物委員会にはサル部会が設置され、ウイルス専門家の私が部会長を引き受けていた。

 

マールブルグ病発生の衝撃

予研のサル部会での仕事を始めて二年経った一九六七年八月に衝撃的なニュースが飛び込んできた。西ドイツのマールブルグとフランクフルトで、ポリオワクチンの研究所の職員がミドリザルから出血熱に感染し、死亡したというのである。マスコミは原因不明のミドリザル病という見出しで大々的に報道した。現在と違ってファクスもなければインターネットもなかった。WHOから発表される公式の情報のほかに、サルの輸入業者のテレックスによる非公式の情報しか頼れるものはなかった。

ウイルスは、4ヶ月後の12月、マールブルグ大学公衆衛生学のルドルフ・ジーゲルト教授のグループにより分離された。培養細胞では分離されず、最終的にモルモット接種でモルモットが発熱し、その血液をさらに別のモルモットに継代することで分離された。

私は1976年にマールブルグ大学を訪問し、ジーゲルトから分離当時の話を聞いたが、驚いたことに、モルモットの実験は20世紀はじめ、北里柴三郎とともにジフテリアの血清療法を開発したエミール・ベーリングが使っていた動物室で行われていた。マールブルグ市の中心にある古い建物で、もっとも危険なウイルス分離が行われたのである。

マールブルグ病発生のニュースを聞いて、私たちの実験動物委員会サル部会では輸入サルの検疫方式の検討を行った。予研でも同じ時期に西ドイツに輸入されたミドリザルと同じく、ウガンダから500頭のミドリザルを輸入していた。西ドイツで起きたことは、日本でも起こりうると考えたのである。

当時、予研ではサルが輸入されると、検便、血液検査、ツベルクリン反応、口腔粘膜の検査など、さまざまの検査を行い9週間にわたって健康状態を観察する検疫を行っていた。これを変更して、これらの検疫作業を始める前4週間を、餌や水を与える単純作業のみにした。マールブルグウイルスについての検査はできなかったため、注目したのは、感染源になったミドリザルがすべて輸入後2週間以内に発病、死亡していたことである。そこで、感染したサルがいれば、この4週間の間に発病すると考えたわけである。その後、通常の9週間検疫を行った。

なお、この10年後の1989年になってWHOがサルの検疫のガイドラインを作成した、そこでは6週間検疫になっている。予研の方式はWHOよりもはるかに厳格だった。

 

1億円の予算要求が34億円の霊長類センター設立に拡大

マールブルグ病出現以前から、予研の獣疫部では野生サルに依存する方式には危険性があり、しかも実験成績の信頼性も乏しくなるため、実験室内でのサルの繁殖の試みを行っていた。しかし、生まれてきたサルの数が増え始めて、実験室には収容しきれなくなるおそれが出てきた。しかも、マールブルグ病の出現は、サルの繁殖計画が非常に重要であることを示していた。

そこで、サル部会から1968年に繁殖施設の予算要求を提出することにした。要求額は1億円だった。当時、予研ではせいぜい数千万円台の予算要求が限界で、1億円という額はきわめて非現実的ということを承知の上で、ともかく厚生省に予算要求書を提出してもらい、意思表示を行ったのである。

一方、同じ年に筑波学園都市法が成立し、厚生省の付属試験研究機関の筑波移転計画が持ち上がり、厚生省は予研の移転を決めた。これに対して予研からは反対運動が起こり、室長の大部分が厚生省に座りこみまで行った。のちに予研所長になった徳永徹は、座り込みのリーダー格だった。私も参加した。厚生省は、身内の反乱に出会って大変当惑していた。われわれの身分は厚生技官だったのである。

1973年厚生省は、最終結論として、34億円の予算で霊長類センターを設立し、予研の一部移転とみなすことを決定した。1億円でも夢物語と言われていた繁殖施設が、34億円で実現することになったのである。

 

大規模屋内繁殖方式の筑波医学実験用霊長類センター(TPC)の開所

翌1974年に私はWHOの資金援助を受けて3か月間、米国とヨーロッパの霊長類関連施設の調査に出かけた。その中には、バイオハザード関連施設も含めた。これが、私が本格的にバイオハザード対策に取り組む出発点にもなった。

当時米国に設立されていた7つの地域霊長類研究センターのうちの4カ所を始めとして、オランダの国立霊長類センター(TNO)など、霊長類関連施設と、CDCなどバイオハザード関連施設、計13施設を訪問した。各施設での調査結果は、すぐにまとめて日本にファクスで送り、それを部長秘書が清書して、関係者に配付してくれた。調査報告書は予研の規格罫紙(A4版33行)180枚になった。

1976年から建設が始まり、1978年、常時約3000頭を保有して大規模屋内繁殖を行う筑波医学実験用霊長類センター(TPC)が開所した。 米国の霊長類センターにおける繁殖は、屋外で放飼いの野生ザルから生まれたサルを実験に用いるもので、TPCの屋内繁殖方式は米国だけでなく、ヨーロッパにも存在してなかった。

私にとって、この海外調査は単に霊長類施設の調査だけではなかった。CDCなどを訪問したことが、その後予研で進められたバイオハザード対策の出発点となった。この際の調査にもとづいて、予研では病原体の危険度分類や高度安全実験室(バイオセーフティ・レベル4実験室)の整備が進められ、日本のバイオセーフティ体制の基盤が形づくられていくことになる。

 

2.予防衛生協会の半世紀の歩み

設立の経緯

TPCの施設整備費として34億円が認められていたが、89名の人員要求に対して、1977年暮れに内示された内容は予想もしない内容だった。TPCの定員は10名で、その他の必要な人員については、定員11名の社団法人を設置して、そこが繁殖・育成の業務を受け持つというものだったのである。こうして、国立研究所支所と社団法人予防衛生協会(以下、協会)という二重構造の組織が生まれた。2028年には50周年を迎える。

この半世紀の間に、大規模屋内繁殖という新しい方式が、TPCと協会が一体となって確立され、サルの屋内繁殖・育成・健康管理に関する世界唯一の技術が蓄積された。その中には、Bウイルスに感染していないサルのコロニーの作出もある。

 

研究支援業務からの発展

協会は、予研のワクチン開発・エイズ・プリオン病など感染症に関わる研究の
支援業務のかたわら、独自に繁殖・育成業務を通じて見いだしたさまざまな遺伝疾患のサルについて、TPCの協力のもと、骨粗鬆症、糖尿病、黄斑変性、高脂血症などのサル・モデルを確立した。高齢サルを用いた加齢に関する研究の支援も行っている。

1997年には厚生省霊長類共同利用施設が発足し、その管理運営が協会に委託された。ここでは、遺伝子治療、再生医療、移植医療、脳科学、長寿科学など先端医療に関する実験が行われ、協会は飼育や健康管理にとどまらず、外科手術をはじめ、MRIなどを利用した高度の獣医学的技術を提供している。

ここで、小規模ながら当初要望していた全国的な視点の霊長類センターの機能が加わったのである。

 

独自事業の開始

1993年からは、協会の独自事業として受託検疫と受託検査が開始された。これらは、長年にわたるサルの検疫の経験や健康管理における微生物学的検査技術の蓄積にもとづくものである。

1999年に施行された感染症法では、輸入サルの検疫と検査が重要な柱のひとつになっている。協会は高度危険性のマールブルグウイルスやBウイルスの検査を実施できる国内唯一の施設として、感染症法の技術的基盤を支えている。

 

研究蓄積の社会への還元

半世紀にわたって蓄積してきた高品質のサルの繁殖・育成・飼育管理に関する技術は、協会が主催する予防衛生協会セミナーや、TPCの霊長類医科学フォーラムなどを通じて、国内のサル飼育に関わる技術者に伝えられている。

一方、出版物を通じた情報提供も始められた。2005年には『カニクイザルのMRI脳アトラス』を刊行し、関係者に配付した。これは世界で唯一の貴重な資料で、サルを用いた脳科学や神経科学研究に役立っている。続いて2006年には『医科学研究資源としてのカニクイザル』を刊行した。これは、高品質のサルの飼育管理技術に関する集大成であって、実験用サルに関わる技術者のための貴重な手引きになっている。

 

霊長類フォーラムの開設

1993年には、TPCと協会が合同で、霊長類を対象とした研究に関する情報交換、討論、データの相互利用を目的とした霊長類フォーラムを開設することになり、その運営を協会が引き受けた。

この時はインターネットが普及する前であって、ニフティサーブを介したものだった。私は1995年4月から、連続講座「人獣共通感染症」を、このフォーラムに掲載した。まもなくインターネットが普及しはじめ、この講座は会員以外の多くの人々への情報源となった。2000年4月から、さらに広い話題をとりあげた「生命科学の雑記帳」を始めた。「人獣共通感染症」は、2009年9月、180回で終えた。「生命科学の雑記帳」は、現在187回を数えている。

振り返ってみると、1967年のマールブルグ病の衝撃から60年近くが過ぎた。現在、日本では輸入サルの検疫体制や高度病原体対策は当然のものと考えられている。しかし、その基盤は野生サルによる感染の危険と向き合った研究者や技術者たちの試行錯誤の上に築かれたものである。筑波医学実験用霊長類センターと予防衛生協会の歩みは、日本における輸入サル検疫と実験動物をめぐるバイオセーフティの歴史を象徴するものである。