188. ハンタウイルスが教えるワンヘルス——戦争、環境、そして感染症

クルーズ船での発生でハンタウイルスの名前が知れ渡った。私にとって、ハンタウイルスは思い出が多い懐かしいウイルスでもある。当時を振り返り、現代の視点でハンタウイルスの位置づけを考えてみる。

 

戦場で発生したハンタウイルス感染

ハンタウイルス感染は、第2次世界大戦中の1937年、中国東北部(旧・満州)とソ連との国境地域に駐留していた日本陸軍の間で発生していた。当時は原因不明の出血熱としてさまざまな名前で呼ばれたが、1942年陸軍は流行性出血熱の名称に統一し、翌年にはウイルスによる疾患であることが発表された。

この研究を行ったのは、俗に細菌部隊とも呼ばれた731部隊で、捕虜を用いて人体実験を行ったとされている。

1951年に始まった朝鮮戦争では、国連軍の兵士3000人が感染し、韓国型出血として注目された。米国国立衛生研究所のカールトン・ガイジュセックはウォルター・リード医学センターのチームの一員として調査に参加した。なお、彼はこの後、パプアニューギニアの先住民の間で発生していたクールーの原因(後にプリオンと命名される)を発見し、1976年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。

原因ウイルスは、1976年、韓国高麗大学の李鎬汪(イ・ホーワン)がガイジュセックらの協力を得て、セスジネズミから分離し、このネズミが捕獲された38度線近くを流れる漢灘江(ハンタンガン)の名前をとってハンターン・ウイルスと命名した。

1982年東京で開かれたWHO専門家会議で病名は腎症候性出血熱に統一され、一九八七年、国際ウイルス分類委員会はハンタウイルスを正式の属名に定めた。

動物実験施設で発生したハンタウイルス感染

日本では、1970年代初めから、医科系大学の動物実験室で、高熱、腎障害、出血熱などの症状の原因不明の病気が散発していた。1976年から1978年にかけて10カ所の大学で発生が起こり、症状から韓国型出血が疑われたため、李鎬汪に検査を依頼した結果、韓国型出血熱であることが判明した。確認された患者数は66名に達していた。

1979年には、大阪大学の川俣順一を班長とする「動物における人獣共通感染症、特に流行性出血熱発生の予防と制圧に関する研究」班が発足した。医科学研究所の実験動物研究施設長をつとめていた私も参加した。

この班の活動がきっかけで、1960年代に大阪梅田の住居密集地域で起きた梅田の奇病または梅田熱と呼ばれた原因不明の熱病の原因も明らかにされた。梅田では、10年間で患者が119人、そのうち2人が死亡していた。保存されていた20人の血清を調べたところ、19人がハンタウイルス陽性だった。

川俣班では、ウイルスに感染したセスジネズミの組織切片を李鎬汪から購入し、それを抗原にして検査を行っていた。1981年暮れ、私はガイジュセックと旧知だったので、川俣班長とともに、米陸軍微生物病研究所で研究を行っていたガイジュセックを訪ねて、ウイルス分離の経緯など、分離に関わる情報を教えてもらった。

1983年、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の北村敬が東京港のネズミからウイルスの分離に成功し、自前の検査体制を作ることができた。1985年には終息宣言が出された。1970年の最初の発生から16年間に、24機関で計126人が感染し、1人が死亡した。

感染源は実験用のラットだった。感染したラットは発病せずに尿の中にウイルスを放出していたため、それから実験者が感染していたのである。

 

ナバホ先住民を襲った「名前のないウイルス」

米国南西部のニューメキシコ、アリゾナ、コロラド、ユタの4つの州は、2本の直角に交わる線で州境が分けられている。そこで、この一帯はフォアコーナーズと呼ばれている。1993年5月中旬、ここで謎の病気が発生した。

最初の患者は19歳の長距離ランナーの元気な男性メリル・バーヒだった。彼が入院中の5月9日に、婚約者のフロリナ・ウッディが急死した。それから5日後、バーヒが死亡した。

解剖してみると、ふたりの肺は酸素欠乏で赤黒くなっていて、そこに多量の水が溜まっていた。これは急性呼吸困難で見られる病変だが、若い人ではほとんど見られないものだった。

同様の症状の患者はさらに増え、5月26日には19人に達した。
5月27日にニューメキシコ州政府は正式に疾病制圧予防センター(CDC)に調査を依頼した。

CDCでは危険なウイルスの可能性が想定されたため、ウイルス・リケッチャ病部門の特殊病原部が担当することになった。部長のC.J.ピータースは米国陸軍感染症研究所に勤務していたが国防予算削減のあおりを受けてCDCに移籍したところだった。

ニューメキシコのサンプルは5月31日にCDCに到着した。患者の血清について、片端から調べていくうちに、6月3日にハンタウイルスに対する反応が弱いレベルだったが、間違いなく陽性との結果が出た。これは予想外の成績だった。ハンタウイルスは腎臓障害が特徴的で、肺に障害を引き起こした例はそれまでまったくなかった。

私の手元にはピータースから送られてきた患者の肺のX線写真がある。これを見ると、肺の中で正常な部分はごくわずかで、ほとんどの部分が真っ白に見える。これは、何リットルもの水がたまっているためで、肺が水浸しになって、呼吸ができなくなっていること示している。

CDCは最初の頃、この病気を急性成人呼吸困難症候群と呼んでいたが、ハンタウイルス感染によることが抗体検査で確定したことから、8月3日、ハンタウイルス肺症候群と命名した。

腎症候性出血熱ではネズミがウイルスの自然宿主になっていることから、ハンタウイルス肺症候群でもネズミが感染源として疑われた。フォアコーナーズ地域で捕獲されたネズミのうち、3分の1はシカネズミで、その3分の1にハンタウイルスの遺伝子が検出された。

原因のハンタウイルスの分離は、ピータースをリーダーとしたCDCのチームと、ピータースの古巣の陸軍感染症研究所のチームの間の3ヶ月にわたる競争となった。

11月3日、陸軍感染症研究所チームはカリフォルニア、コンビクト・クリークで見つかった患者の家の近くで捕獲したシカネズミから、ヴェーロ細胞でウイルスを分離したことを発表した。その2週間後、CDCチームはニューメキシコで捕獲したシカネズミから、同様にヴェーロ細胞でウイルスを分離した。両者の競争は引き分けとなった。

原因ウイルスの命名も容易ではなかった。

最初、提案されたのは、「フォアコーナーズウイルス」である。患者が最初に見つかり、そこのシカネズミからウイルスが分離されたためである。ところが、ナバホ自治区の住民が反対した。ここはナバホ自治区の近くで、観光の中心にもなっている場所であるためである。そこで、最初の患者が死亡した場所付近の名をとって、「ムエルトキャニオン(死の谷)ウイルス」という名前が提案された。ところが、アリゾナにある国立公園の中に同じような名前の場所があった。ここは、1805年、スペイン軍により数百人のナヴァホが大量殺戮されたためにつけられた地名である。その神聖な地域の名前をキラーウイルスにつけるのは、ナバホに対する侮辱ということになった。

次ぎに提案されたのは、「コンビクトクリークウイルス」である。ここのシカネズミからウイルスが分離されたことによる。しかし分離したのは陸軍感染症研究所チームであり、フォアコーナーズのシカネズミからウイルスを分離していたCDCチームが賛成するはずはなかった。

それならば、誰も反対しない名前ということで、「シンノンブレウイルス」が提案された。これが了承され正式名称となった。ウイルス分離から約10ヶ月後の1994年9月1日である。シンノンブレ(Sin Nombre)とはスペイン語で「名前がない」という意味である。すなわち、「名前のないウイルス」という名前になったのである。CDCチームのカール・ジョンソンによれば、実際にフォアコーナーズにはシンノンブレという名前の地域が存在しているという。

 

世界各国で見いだされるハンタウイルス病

CDCは急性の呼吸困難の症状を示した全米の患者について、合成抗原を用いて抗体の検出を始め、陽性になった例についてはPCRによるウイルス遺伝子の確認を行った。その結果、フォアコーナーズ以外の地域でもハンタウイルス肺症候群の患者が見いだされた。1953年には、テキサス州のひとりの女性がハンタウイルス肺症候群と診断された。1995年にはニューヨーク州で25歳の男性が死亡した。彼から分離されたシンノンブレウイルスはシカシロアシネズミが保有していた。2012年にはカリフォルニア州のヨセミテ国立公園で発生し、観光客6人が発病し、2人が死亡した。これらを含めて、北米全体では、2023年までに859例の発生が報告されている。

南米ではアルゼンチンからの報告がもっとも多く、これまでに1000人以上の患者が確認されている。そのほか、チリ、ブラジル、パラグアイ、ボリビア、ペルー、ウルグアイ、ベネズエラでも発生が報告されている。アルゼンチンで分離されたハンタウイルスはシンノンブレウイルスに似ているが、明らかな違いがあることから、アンデスウイルスと命名されている。

ほかのハンタウイルスはヒトーヒト感染を起こさないが、アンデスウイルスでは限局したヒトーヒト感染が報告されている。

北欧では主にフィンランドとスウェーデンでハンタウイルスによる腎症候性出血熱が発生している。原因ウイルスはヤチネズミが保有するプーマラウイルスである。2023年には、ヨーロッパ全体で1800例を超す発生が報告されている。

ハンタウイルスの世界的分布は表に示した。

ハンタウイルス感染症の分布

病気の種類 流行のパターン 自然宿主 原因ウイルス 流行地域
腎症候性出血熱

田園流行型
◆◆◆極東型
◆◆◆北欧型
◆◆◆バルカン型

都市型
実験室型

田園流行型
セスジネズミ
ヤチネズミ
キクアカネズミ

ドブネズミ
ラット

田園流行型
ハンターン
プーマラ
ドブラヴァ

ソウル
ソウル

田園流行型
中国、韓国、ロシア極東地域
スカンジナビア半島
ブバルカン半島

中国、韓国、梅田熱
日本、韓国、フランス、ベルギー

ハンタウイルス肺症候群 シカネズミ
コメネズミ
シンノンブレ
アンデス
北米
南米

 

 

ワンヘルスを改めて思い出させるクルーズ船でのハンタウイルス発生

2026年4月から5月にかけて、南極周辺を運航していたクルーズ船「MVホンディウス」でハンタウイルスの集団発生が起きた。乗客、乗員から複数の確定例と疑い例が確認され、3人が死亡した。

この発生は、ハンタウイルスの歴史を踏まえると、「新しい感染症の出現」というよりも、「人間の生活空間」にネズミが入り込んだ結果として、繰り返し起きてきた古典的な人獣共通感染症の再現とみるべきである。

ハンタウイルスの特徴は、発見以来一貫して「ネズミとの共存関係」にある。日中戦争における流行性出血熱や朝鮮戦争中の韓国型出血熱では、野営中の兵士がせずジネズミから感染したと考えられ、旧ユーゴスラビア内戦では、野外キャンプ生活を送る兵士の間で患者が発生した。いずれも、人間の生活環境がネズミの生息環境に重なったことが原因だった。

1993年に米国で発生したシンノンブレウイルスによるハンタウイルス肺症候群も同じ構図で、エルニーニョに伴う降雨増加によりシカネズミが爆発的に増え、ヒトとの接触器官が増加した結果として発生したと考えられている。つまり、病気そのものよりも、「環境変化によって宿主動物の生態が変化したこと」が重要だったのである。

さらに重要なのは、ハンタウイルスがネズミにはほとんど病気を起こさず、生涯にわたり尿中へウイルスを排出することである。ヒトはその尿や糞便が乾燥して舞い上がった塵埃を吸い込むことで感染する。

この視点から見ると、クルーズ船での発生は興味深い事例である。クルーズ船はしばしば「閉鎖空間で感染症が広がる場」として語られるが、ハンタウイルスの場合は、新型コロナウイルスのようなヒトーヒト感染が問題ではない。むしろ、船内にネズミが侵入していなかったか、食品保管庫や倉庫でネズミが繁殖していなかったか、清掃や改修作業で汚染された塵が舞い上がらなかったか、寄港地で積み込まれた物資にネズミが混入していなかったか、という環境側の問題を考える必要がある。

クルーズ船でのハンタウイルス発生は、豪華客船という現代的な舞台で起きた出来事だった。しかし、その本質は中国東北部の兵営や朝鮮戦争の野営地、あるいは実験動物施設で起きた流行と変わらない。感染症は突然どこかから現れるのではなく、ヒトと動物と環境との関係の中から生まれるのである。

ハンタウイルスの歴史は、そのことを繰り返し私たちに教えてきた。感染症との闘いはウイルスとの闘いであると同時に、人間が自然とどのような関係を築くかを問い続ける営みでもある。ハンタウイルスは、ワンヘルスという考え方の重要性を改めて思い出させる象徴的なウイルスなのである。