成長研究と実験動物 第3回

成長にかかわる研究分野


われわれ人間は複雑な成長現象を人為的に操作して上手に利用してきました。 たとえば、家畜の産肉能力や泌乳能力についてはできるだけ早い時期に最大の能力を発揮することが望まれていますが、 これはとりもなおさずこれらの能力が家畜という動物の成長の仕方に関連していることを意味します。 個体の早熟性、早肥性、飼料効率の高いこと、肉質のすぐれていること、 肉の歩留りの高いことなどは基本的にその個体の成長の型を理解し、 それに畜産的な技術である育成と肥育を加味してはじめてなり得るのです。

実験動物学分野でも系統動物の体重、各臓器重、血液性状、 血清生化学値などの月(あるいは日、年)齢別の数値はノーマルデータとして大量に蓄積されその系統の特性の一つになっています。 これらは、この系統動物を用いて様々な実験(安全性、薬効、薬理試験等) を行なう際の対照として必要不可欠なものです。 とくに体重は計測しやすい上に動物体としての生理機能の総合的なあらわれですのでその経時的な観察は必ず行われています。

このように、成長は生物学をはじめ医学、 農学など多くの分野にかかわっていますが成長そのものについての研究は意外に少ないようにみえます。 ヨーロッパでは、Malthus(1798)の人口の幾何級数的増加説でみられるように人口増加に関する法則、理論の追求が盛んでした。 ベルギーの数学者Verhulst,P.F.(1845)のLogistic 曲線は、もともと、 人口ははじめは時間とともに増加し続けるがやがてその速度が鈍化し遂には一定の極限値に近づいて安定静止するという理論から導かれたものであり、 Gompertz曲線(Gompertz, B, 1825)もヒトの生命表における高齢部分の生存数補正のために考案されたものです。 やがてこれらの式は個体の成長にも適用できることもわかり、 Bertalanffy曲線(Bertalanffy, L.V., 1957)を経てRichards曲線(Richards, F.J., 1959)に至っています。

これらの成長理論曲線はすべて天文的な時間tを基準としたいわば絶対成長的立場に立つものですが、 同一個体の部分の成長を基準にした相対成長的な観点に立つ研究がHuxley(1932)とTeissier(1934)によって始められました。 この概念は、古く、Darwinが生体の各部分、器官間の成長関係すなわち成長の相関(八杉竜一訳:種の起源(上)第13版、岩波、1973)にまでさかのぼることができます。 こういった成長に関する数理学的な研究に加えて生化学的な立場からの追求もBrody, S. (1945)やNeedham(1950)らによって行なわれています。 一方、実学的な立場からイギリスのHammond, J.(1932~)一派が生体の各器官、 組織に関する「発育段階説」に基づいて濃厚飼料の給与時期を操作して家畜の成長型を人為的にコントロールし、 肉の歩留りの高い牛、羊、豚を作出しています。

わが国では、先にも述べましたように成長に関する研究は残念ながら少ないようです。 私が始めて目に触れたのは故清水三雄先生の「動物の成長-動的形態学の一面-」 (1957)と題する本でした。 この本は易しく書かれておりますがその内容は極めて高度なものです。 続いて1959年に「相対成長-成長の新しい研究分野-」が発刊されました。 これ迄の清水先生の各種動物の種内、 種間相対成長に関する研究成果を中心に書かれたかなり専門的な内容のものです。

小児科学者である馬場一雄教授は、 ヒトの出生時からadultに至るまでのいろいろな生理学的ならびに生化学的特性値を横断的にしらべた 「成長の生理学」と「成長の生化学」(1966)を出版し、 山岸宏教授は1977年に形態学的成長に対する数理学的な考え方をわかり易く解説した「成長の生物学」 を発刊しています。 成長を理解する上で有益な図書です。 私ども(猪貴義、後藤信男、星野忠彦、佐藤博)(1987)は、 生命現象全般を総合的立場で解明しようとするライフサイエンスの展開にあたって成長研究をどう展開するかについて論議を重ね、 「動物の成長と発育」という著書を公表しました。 ここでは上に述べたような観点から、ヒト、 家畜および実験動物の成長と発育のしくみ、成長発育過程における遺伝、形態、生理、生態、病理、行動・心理などの一端にふれております。 最近では、増山元三郎博士(1994)が「成長の個体差-ヒトの成長直線をめぐって-」という著書の中で極めてユニークな問題を提起しています。 ヒトの身長の個体差を計量化しその法則性を求めると一本の線すなわち成長直線を得ることができ、 それによって個人個人の身長を推測できるというのです。

因みに同博士は著名な統計学者で、 「少数例のまとめ方」という著書を私が学生の頃書かれ、 多くの学生はそれをもとに統計学なるものに始めて接し勉強したのでした。 博士は1912年生まれだそうですから既に84才、 未だに新しい分野にチャレンジしその研究成果を発表しなさっておられます。 心から敬意を表する次第です。

このように書いてみると日本でも成長に関する研究がかなり行われているかのようにみえますが、 1957年の「動物の成長」(清水)以来40年間の成果としては誠に寂しい限りです。 成長に関する専門誌は昭和32年(1962)に発刊された「成長」誌(英文名 Journal of Growth)しかありません。 もっとも外国でもGrowth, Development and Aging(GDA)一誌しか見当りません。 この雑誌の前身はGrowthという1937年創刊のアメリカの雑誌です。

わが国で成長そのものに関する研究があまり行われていないのは、 日本では大学や研究所に成長に関する学科はもとより講座、 研究室が全くないことが最も大きな理由だと私は考えています。 せめて講座でもあれば、当然それに関する講義、実験実習があり研究成果もあがり後継者も育ちます。 大学における講座すなわち何々学教室は何々学そのものが学としての体系をもち長い歴史がある故に存在しているのですが、 ここ10年間の大学の組織改革でみられるように従来の学問体系では考えられないような名称の学科、 講座が新設あるいは振替になっているのです。 中には英文名にするのに四苦八苦するような名称のものもあります。 理学部あるいは農学部の中にせめて動物(植物)成長学とか成長機構学などの講座ができれば、と思っています。 多少専門的な内容の教科書的著書を出版しようとするとき、 少なくとも3000部売れないと学生が求めやすい価格の3000円位にはならないそうですが、 講義そのものがないのでは出版社が話にのってくれる筈がありません。 また、研究成果を発表し切磋琢磨する学会や研究会を組織し存続せしめるためにも講座ができるのが最もよいと考えます。


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