イラクの生物化学兵器査察などのニュースが一時日本のメデイアでも流されましたが、最近のアメリカでのバイオテロリズムに対する関心は私たちの想像以上のものです。 起こるかどうかというのではなく、いつ起こるかという捉え方です。 バイオテロリズムに関する発表や新刊書をご紹介しようと思います。 |
1. CDC主催のエマージング感染症シンポジウム (3月8〜11日) |
このシンポジウムについては前回(第60回)の本講座で簡単に触れましたが、バイオテロリズムに関する講演がいくつかありました。 まず、基調講演で保健省のドンナ・シャレイヤDonna Schalala長官はバイオハザードとバイオテロリズムのふたつがとくに重要な課題であると強調していました。 そこではオウム真理教の事件が引用されていました。 ついで、バイオテロリズムというタイトルの特別講演がドナルド・ヘンダーソンD.H. Hendersonにより行われました。 彼はWHOの天然痘根絶のリーダーでありブッシュ大統領の科学補佐官もつとめ現在はジョンスホプキンス大学教授です。 彼の話の大要は以下のとおりです。 仮に天然痘や炭疸がテロで用いられた時にどのようなスピードで広がり、どのような被害が生じるかを詳しく述べていました。 天然痘では根絶が進み始めた1970年代に起きたドイツ、ユーゴスラビアでの天然痘の広がりの状況を紹介し、種痘が完全に行われなくなった現在、発生した場合をどのような事態になるか、警告していました。 また炭疸では、とくに1979年ソ連のスベドロフスクで起きた炭疸菌流出事故で77名が発病し66名が死亡した例をとりあげ、発病してから死亡するまでの期間が2〜4日というデータがくわしく紹介されました。 イラクには炭疸菌が8,000リットルが保存されているとか。 実際に最近、米軍兵士には炭疸ワクチン接種が決定されています。 国家レベルだけでなく一般市民でも、生物兵器の作り方がインターネットでも入手できるようになっている現在、バイオテロリズムの危険性は非常に大きいとみなさなければならないということです。 ポスターセッションでも米陸軍微生物病研究所のバイオテロリズムに対する準備状況が示されていました。 私は先週ワシントンに滞在していたのですが、国防省が日本でのサリン事件と同様の事態を想定した模擬訓練を行いました。 |
2. フィクション・11番目の疫病 John S. Marr & J. Baldwin: The Eleventh Plague,Cliff Street Books |
前回(第60回)、レオナード・コールによる同じタイトルのノンフィクションをご紹介しましたが、今度のはバイオテロリズムを主題としたフィクションです。 コールは生物兵器を聖書に出てくる10の疫病(モーゼの10戒)に次ぐ11番目のものとしています。 今回の本は10の疫病をテロリストがひとつずつ実行していく話で、これからも起こるであろうという意味で11番目となっています。 著者ジョン・マーはニューヨーク州公衆衛生局の医師です。 インターネットでのProMed発足以来司会者をつとめているジョン・ウドールJohn Woodallの名前はProMedでいつも見ておられると思いますが、彼と同じ職場であり、ウドール(もちろん別名で)が本書の主役です。 テキサス州サンアントニオのリバーウオークは行かれた方はご存知と思いますが、メキシコ風のすばらしい散歩道ですが、そこで蜜蜂の大群がおそってきて可愛らしい双子の子供の鼻、耳などに蜜蜂が入り込み悲惨な形で蜜蜂に殺されるところから物語は始まります。 これは蜜蜂の誘因物質を利用したものであることが後で分かります。 ついでサンデイエゴの動物園で、水鉄砲を拾った子供がすさまじい症状で死亡します。 水鉄砲に炭疸菌が入れられていたのです。 その症状の記載は医師だけに非常にリアルです。 前述のシンポジウムのポスターセッションで示されていたインドの炭疸患者の写真とまったく同じです。 この後、アフラトキシンや巻き貝の毒素によるテロ、さらには犯人が南米から有鈎条虫(カギサナダムシ)を自分の腸の中に入れて密輸し、その卵を自分の腸の中で数万個に増やし、パーテイ出席者の料理に入れて大量の虫卵感染を起こさせます。 被害者は大量の虫卵が急に増殖し神経が冒されて殺人や事故を引き起こし、多くの人を巻き添えにして死亡する事件に発展します。 ウマのボルナウイルスも出てきますが、その中では日本では北海道で広がっていると、北大の生田先生たちの報告を引用しています。 この問題にとりくむのがProMedの司会者である公衆衛生専門家です。 聖書の10の疫病にそれぞれ相当する病気が順番に引き起こされているということを解明していき、10番目がニューヨーク全体を巻き込む大変なことになるのを察知しFBIと協力して、ぎりぎりのところで防ぐという話です。 本書に出てくる材料や方法は真似されないように変えられていると冒頭にありますが、内容は非常にリアルです。 公衆衛生専門家である医師の描写は現実味があり、日本のホラー物にはみられないおそろしさが感じられます。 事件の解決にはProMedがフルに利用されており、インターネットの時代が反映されています。 なお、本書の印税の一部はProMedに寄付されるとのことです。 |
3. コブラ事件 Richard Preston: The Cobra Event, Random House |
これはホットゾーンの作者リチャード・プレストンの書いたフィクションです。 ホットゾーンはノンフィクションでしたから、今度の方がはるかにスリルがあります。 冒頭に「自分が存在しないと信じ込ませるのは悪魔の最大の芸術」というボードレールの言葉が引用されています。 本書に書かれていることは信じられないかもしれないが、実際に起こりうるという意味でしょう。 本書のタイトルのコブラは組換えDNA技術で作られたウイルスにつけられた名前です。 バイテクワクチンなどでもっともよく利用されている蚕のウイルスであるバキュロウイルスが蚕の身体のほとんどをウイルス蛋白に変えてしまうことを利用し、これに風邪のウイルスと天然痘ウイルスの一部を組み込ませて人で呼吸器感染により広がるようにしたものです。 以前に本講座(第53回)でフランク・ライアンのウイルスXをご紹介しましたが、まさにそれに相当します。 (ウイルスXは最近、角川書店から日本訳が出たようです。) まったく健康な17才の少女が突然鼻から多量の粘液を出し、舌をかみきり、大発作で背中がアーチ状に反り返り、死亡することから物語は始まります。 異常な死亡の状況からCDCの若い女性疫学者オーステンが調査のためにニューヨークに派遣されます。 解剖で執刀する場合を考えてナップサックには自分の解剖器具一式も入れてでかけます。 彼女に協力することになったニューヨーク市の検屍官によると、前の日にホームレスの男性が死亡しており症状は少女と同じで、解剖してみると彼の舌が胃の中にあったそうです。 少女の解剖はオーステンの担当となり、解剖してみると腎臓には金色の縞があり眼には尿酸が沈着して結晶のようになっていました。 脳はほとんど溶けた状態でジェリーのようになっていました。 切りはずした頭骨を解剖台の別の場所に移動しようとした時に、落としてしまい、台の上にたまっていた血がはねて検屍官の眼鏡に小さな血のしみがついてしまいます。 つづいて安物骨董品の店を開いている女性の死亡が報告され、これも舌や指を噛んでおり、解剖の結果も同じでした。 この後、少女を介抱した学校の先生が地下鉄の駅で大発作を起こし線路に落ちて電車にはねられて死亡します。 眼鏡に血がはねた検屍官は、その後、別の解剖中に突然発病し、刃渡り2フィートもある解剖刀で助手の首を切り落とし、解剖の手順にしたがって自分の身体を切開していきます。 すさまじい描写です。 脳をおかすウイルス感染と考え、オーステンは疫学者としての調査と推理の結果、これらの犠牲者のつながりをつきとめ、これまでにない恐ろしいウイルスであるということからFBIがニューヨークの島の中に隔離病棟と実験室を設置し対策を始めます。 彼女の綿密な観察の結果、この病気はレッシュ・ナイハン病とまったく同じであることがわかります。 余談ですが、これはヒポキサンチン・フォスフリボシル・トランスフェラーゼ(HPRT)の欠損によるX染色体相関の遺伝性疾患で尿酸の蓄積や自傷行為を示すことが特徴です。 トランスジェニックマウスの技術を開発したペンシルバニア大学のラルフ・ブリンスターが、ヒトHPRT遺伝子を導入したトランスジェニックマウスを作り、遺伝子治療のモデル実験を行ったことで、この病気は発生工学の領域では有名なものです。 もっともこの治療実験は成功しませんでしたが。 話をもどしますと、この診断がてがかりになって、コブラウイルスを大量に製造している国際組織をつきとめ、ここに勤めていた変わり者で解雇された人が、ウイルス製造装置を盗みだして、このテロを起こしていたことが分かります。 彼は人口が増えすぎては地球が破滅する。 このウイルスをニューヨークを出発点として全世界に広め、エマージングウイルスとは逆に都市から熱帯雨林にまで広げるという計画でした。 そして、これまでの個々の実験が成功したことから最後に、ウイルスを散布する時限爆弾を爆発させる段階になります。 ここで、危機一髪くいとめるというのがおおまかなストーリーです。 国連査察団によるイラクの生物兵器開発の状況、シベリアでの生物兵器製造などもくわしく紹介されており、これらはすべて事実であると著者は述べています。 解剖手順の具体的かつ詳細な記述に感心しましたが、これは著者の兄弟が医師であることからうなづけます。 私はたまたま、5月末にアトランタに行く飛行機の中でこの本を読み終えたのですが、CDCで聞いたところ、この本はクリントン大統領が読んで、恐怖にかられ、CDCの警護をもっと厳重にしろと命令したそうです。 |
4. 捜索中のキラーウイルス:モスクワからのエスケープ |
ニューヨーク科学アカデミーの機関誌The Sciences5・6月号にのった天然痘ウイルスに関する記事です。 ソ連生物兵器計画の第1副部長アリベクAlibekが米国に1992年に亡命し、今年の2月25日にソ連の生物兵器計画の実態が明らかにされました。 それによると旧ソ連では天然痘ウイルスが生物兵器としてトンの単位で製造されていたとのこと。 エリツイン大統領から生物兵器計画の廃止が公式に表明はされたが、そのとおりかどうか不明の疑いがあるという話です。 もともと天然痘根絶はソ連のウイルス研究者ヴィクトール・ジュダノフViktor ZhdanovがWHOで提唱し、前述のドナルド・ヘンダーソンのひきいるチームにより根絶が達成され、1980年に天然痘根絶宣言にいたったものです。 天然痘ウイルスの遺伝子解析終了後にはCDCとソ連に保管されている天然痘ウイルスはすべてオートクレーブにかけ、焼却されることになっていました(その経緯は本講座第28回で触れています)。 遺伝子解析はCDCのブライアン・マーヒーのチームにより1993年末に終わっています。 ところが根絶が進みはじめた頃、ソ連国防省の秘密の研究所(モスクワ北東のセルギエフ・ポサド)では1960年代から天然痘ウイルスの研究を開始し、すくなくとも80年代まで継続していたとのことです。 証明はされていませんが、中国、インド、イラン、イラク、イスラエル、リビア、北朝鮮、シリアはソ連の科学者から天然痘ウイルスをもらっているといった推測もあります。 1994年にはロシア政府の特別の決定でモスクワのウイルス製剤研究所に保管されていた天然痘ウイルスのコレクションはノボシビルスクのコルツオボにあるベクター研究所にWHOに通告することなく移動されています。 それ以前に1991年に米国の生物兵器視察団がノボシビルスクを訪問したところ、ここで天然痘ウイルスの遺伝子解析を行っているといわれたそうです。 本講座(第55回)でもすでにご紹介しましたが、この研究所では今でもエボラやマールブルグウイルスの動物実験をさかんに行っております。 冷戦時代に生物兵器としての利用を考えていたことは間違いないといわれています。 亡命後6年たっているため、真偽はさだかでありませんがアリベクの話はさらに発展してエボラと天然痘ウイルスのキメラができたとも言っているそうです。 これはおそらくワクチニアウイルスをベクターとしたエボラワクチンのことだろうと思いますが。 天然痘ウイルスの廃棄は予定をはるかに越えていまだに実施されておらず、来年のWHOの総会で審議されることになっています。 ところで米陸軍微生物病研究所USAMRIIDのピーター・ヤーリングPeter Jahrlingは永久凍土のツンドラで10〜12フィートの下の墓を掘って天然痘患者の死体をとりだし皮膚病変をかきとり実験室に持ち帰るビデオのコピー(4回目の複写)を見たということです。 これはノボシビルスクのベクターの所長から受け取ったもので、この患者は1世紀前のものでシベリアに埋められていたものです。 なぜロシアの科学者が古い天然痘患者の病変をほしがるのか。 これに対して、この記事ではウイルスが公式に廃棄されたのちに、実験室から天然痘ウイルスのリークや感染事故が起きたとき、これは永久凍土からのものと弁明するのだろうと推測しています。 かって接種された種痘ワクチンの免疫はすでに消失しており、現在のワクチン供給数は700万人分とのこと。 もしも天然痘が生物兵器やテロで用いられたら大変なことになるという趣旨で、これは最初に紹介したヘンダーソンの意見にも合致します。 なお、私はこの3月に「世界のエマージングウイルス感染症に備えて」というテーマでCDCのブライアン・マーヒーにインタビューを行い、その記事が科学(岩波書店)6月号に掲載されています。 この中でも天然痘ウイルス廃棄の問題に触れていますので参考にして下さい。 |