まだ滞在4ヵ月たらずですからほんの少数しかこの国の人とお付合いしていません。 でもこちらで既に10ヵ月近く過ごしている私ども JICAチーム のスタッフからの情報をまじえて知り得る限りのことをのべてみます。
ここ獣医研究所のスタッフに限っていえばここの人達は他のラテン系諸国の人より物静かで紳士的です。 また、かつて裕福な暮らしと高い文化をもっていたせいか中に秘めたプライドも高いようです。 専門的な知識もかなり高く多くの情報を得ています。 ところが残念なことに、この研究所の性格(業務目的)からか、あるいは財政難のせいか知識はあってもそれを実行に移す気持ちと器具、器材が殆どなくて机上の知識の傾向があります。 後でここの所長に聞いて分かったのですが、昨年から職員の給料は国から出ますが、研究所の運営費、研究費等は自前で稼がなければならないようになったとのことです。 ですから実験動物を、前に述べましたように、有償で他の研究所へ分与したり、病理診断料をとったり、薬の検定料をとったりしているのです。 私の分担分野でいえば、実験動物等の設計はバリヤーシステムを保ちSPF動物を飼育、繁殖する思想で作られていますが、実際には空調機用のモーターがパワー不足とか、フィルターをセットし、交換するスペースがないとかで全く機能しておりません。
実験動物室長の Dr.C は名前からするとポルトガルかブラジル系の人です。 人柄は謙虚で紳士的ですが、その仕事は余りほめられたものではありません。 与えられた仕事はするけれども積極的に新しく工夫したり研究したりはしません。 前にも書きましたように、この棟にはSDラットが10頭ばかりマウスと一緒に飼われていますが、こんな頭数ではクローズドコロニーとしての性格はすでに失われ、また、繁殖能力も低下していましたから私はいつかこの系統を切るように進言するつもりでした。 彼も同じ考えだったらしく、先日、私の知らないうちに採血もしないで全頭処分してしまいました。 その前から、HVJやMHVなどのチェックをするためにリタイアのマウスの血清を少しずつ集めていたことを彼は知っているわけですから、何で処分するときに採血しなかったのか理解できません。 彼はモンテヴィデオの区会議員もしています。 市にはいくつかの区があって選挙によって議員が選ばれるのは日本と同じですが市からは給料が出ません。 給料は勤務先(国)から出ます。 いずれにしても週に1〜2回は議員としての仕事で休みますが、研究所ではそのことをいわば公認しています。 この辺の事情も私にはよく理解できません。
この研究所の所長である Dr.B は、日本でも見たことがない程有能な人物だと思います。 会議ではメモを取りませんが、細かいところまで記憶していてすぐ対応してくれます。 先日、会議上でCD-1マウスは近交系だと彼が云ったのでそうではない、outbred だといったところ、翌日、米国チャールズリバー社の invoice のコピーを持ってきました。 みるまでもなく outbred なのですが、そこにはちゃんと outbred と書いてありましたのでそこを指すとすぐ納得しました。 ハンタウイルス感染騒ぎの時も、ことの重大性にいち早く気がつき、実験動物棟のまわりを見て来て野生ラットの捕獲状況をみている私とかち合ったりします。 一寸横道にそれますが、私はここに着任するとすぐ棟のまわりに多数の大きな穴やけもの道があるのに気付き、その辺が草原であることから興味をもっていたアペリアという小動物がいるのではないかと調べているところでした。 残念なことに野生のラットばかりでした。しばらく経って例のハンタウイルスの感染が新聞で報道されましたので JICAチーム は先見の明があるとよい意味で誤解されればよいのだが、とつまらないことを考えています。 ところで Dr.B のことですが、彼は研究所の全ての運営費を稼ぐのに極めて多忙であるにかかわらず、こんな細かい所にまで気がつく、と同時にまたすぐ対応します。
私の感じでは、研究所のえらい人、所長や部長は余り休まないでよく働いています。 また、テクニシャンも適当に休みまはしすが、勤めている時は一生懸命働いています。 掃除をする人も朝早くから夕方まで実によく働き、研究棟の廊下、トイレなど極めて清潔です。 問題は室長クラスの中間職で彼らはよく休みます。 Licencia という長い休みをめいっぱいとるのは決まって彼らです。 研究、業務上でいえば先頭になって働く人、いわば斬り込み隊長の立場にある彼らが頭でっかちで手足を動かさず、それでいて休みだけたっぷりとっているように見えます。 職員の勤務時間は朝8時半から午後2時半頃迄です。 国家公務員ですからそんなに給料を貰っておらず(室長クラスで月5〜6万円位らしい)、多くは夕方から夜にかけてアルバイトで補っています。 室長クラスは大学等の講師も兼ねている方が多く、そちらに精出しているのかもしれませんが、もう少し本業の方に精を出して貰いたいものです。
その他に私が接しているウルグァイ人といえばホテル関係の方々、とくに従業員たちです。 この小さな10階建てのアパートホテルは去年の4月に新築、開業したもので、50m^2の部屋がエレベータを挟んで各側に一つずつ計20あります。 オーナーは Ana Maria さんという金髪の背の高い典型的な白人の40才位の女性で毎月1回は必ず来ます。 なかなかのインテリで英語も上手に話します。 始めての月のホテル代を支払った時に新しいピン札だったので100ドル紙幣の2枚を1枚として私が数えてしまったらしく、後になって100ドル返しに来ました。 信用を重んずるしっかりした方です。
受付の所には電話、ファックス、パソコン等があって24時間誰かいます。 女性の方は一人いて Adriana Cladera という25才位の方で結婚したばかりです。 小柄のスペイン系の方でこの人もなかなかのインテリで、英語も話せるのに何故か殆どスペイン語でしか話しかけてきません。 受付を通るたびに何か話しかけてくれて私のスペイン語の先生です。 プンタ・デル・エステ近くで重油が流出した時のアザラシのことや、腎症候性出血熱のときなどいろいろ教えてくれ、私が間違ったスペイン語の使い方をすると直ちに訂正してくれます。 重油流出の所で「5,000頭のアザラシが死んだ」と私が新聞を読んで書きましたが、後で未来形の「死ぬだろう」と教えてくれました。 「ウルグァイ便り」第1回のところです。遅まきながら訂正します。 後でわかりましたが、彼女は共和国大学建築学部の学生でもう少しで卒業だそうです。
受付には他に若い男性が4人いて交代で勤務しています。 皆好男子で、オーナーが採用するときに顔の良し悪しで決めたのではないかと思われる位です。 そのなかで最も若い(20才)独身の男性とはよく話をします。 彼の名前は Fernando というのですが、私は彼を Sr.Soltero (独身者)と呼んでいます。 電気釜が故障したときにつきっきりで相談してくれたので、日本からの一寸したお土産をあげたところ、恋人にあげるのだと喜んでいました。 雨戸を上げるベルトが切れたり、トイレの吸い込みが悪かったり、時々トラブルがあります。 そんな時にはすぐ彼に連絡をするととんできます。 とても感じの良い好青年です。
それからメイドさんが計5人いてそれぞれ2人ずつ交代で勤務しています。 このところよく来るのは50才半ばの方と24〜5才の2人です。 中年の方は部屋の掃除をはじめベットメイキング、バス、トイレの掃除など完璧で実によく働きます。 ガラス窓もピカピカにします。 子供さん達は既に結婚、独立して、長男の方はウルグァイの北方のサルトに、娘さんはモンテヴィデオにいます。 娘さんはピアノ奏者でピアノが2台あるといっていました。 タンゴ等の伴奏をしているそうです。 一緒に働いている若い女性も中年の方につられてか真面目に働いています。 一度、ホテルの入口でこの方と朝早く会ったことがありますがオートバイで颯爽とした格好で通勤しているのにはびっくりしました。 他の35才位の方は顔はノーブルですがズボラです。 食事は朝7時からなのに彼女の番の時は準備がまだ出来ておらずいつも待たされます。 部屋の掃除もいい加減で、ベットメイキングとタオルの交換、それにゴミ捨てだけしかしません。 休みの日にたまたま彼女が掃除に来たので片言のスペイン語で話したところ、非常に話し好きで娘が2人いて小学校に通っていることなどいろいろ話をしました。 決して悪い人柄ではなく、ただ一寸大雑把な性格なだけだと思います。 もう一人の方はやや太目の茶髪の方でこの方もよく働きます。 ここのホテルの朝食はいつも同じ内容のバイキング方式(パン6種類、ハム3種類、チーズ2種類、ヨーグルト、果物、オレンジジュース、コーヒー、紅茶等飲み物)ですが、少し前の季節は果物として夕張メロンに似たなかなか美味しいメロンが出ていました。 彼女の番の時は一切れがすごく大きくて何か得をしたような気がしました。 いつかエレベーターが故障して1時間程彼女が閉じ込められた時は可哀想でした。 出てきた時は汗びっしょりでした。 彼女の妹の旦那さんは日本人です。 最後の一人の方は午後だけの勤務で私がいつも不在のせいか殆ど会ったことがありません。
私の部屋とエレベータを挟んで反対側にブラジルの男性が長期滞在しています。 40才位の人で、これが実に勤勉な人です。 日本人顔負けです。 朝は私などより早く夜は遅く帰ってきます。 休みの日はジョギングをしたり、クラシック音楽を聞いたり一日を有効に使っています。 ブラジルは国の莫大な借金を棒引きさせたり、あちらこちらで国境問題をおこしたり(ウルグァイとの国境でも2ヵ所でもめています)、ズボラでずうずうしい国という印象がありますが、この国にもいろいろな人がいるのでしょう。 当たり前のことかもしれませんが。
一般にウ国の人々は人の名前を覚えるのが早いようです。 研究所の人達はもちろんですが、いつも行く洗濯屋の親父さんなど3回目からちゃんと名前を覚えてセニョール・ゴトウといってくれます。 ただのセニョールと呼ばれるよりずっと親しみを感じます。 ショッピングセンターの中にあるフジフィルムのDPE店には今迄に7回行っています。 そこの女店員は二人交代で勤務していますが、今では二人とも引換券に書く名前を何も言わなくてもちゃんと Sr.GOTO と書いてくれます。 私自身が人の名前を覚えるのがダメなので、以上がとても印象深く感じました。