(3/11/07)
日本獣医学会の機関誌「Journal
of Veterinary Medical Science」69巻、2007年1月号に上記の論説が掲載された。内容は、(1)欧州における BSEの推移、(2)日本におけるBSEの推移と今後の対策から成り、後者が本論説のほとんどを占めている。 |
I. 小澤論説の抜粋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
問題になる箇所にアンダーラインをしてある。
(1)欧州におけるBSEの推移
(2)日本におけるBSEの推移と今後の対策
全頭検査を牛肉の安全検査と称して2001年10月から全国で実施することとなった。しかし、この迅速テストの限界や、その応用の目的については、当時はよく理解されていなかった。
現在、EUにおける非定型BSEのルーツについては、次の3つの説がある。 これら3つの説のうち大方の説は(2)であり、(3)は証明不可能である。
今日までの日本のBSE陽性例の分析結果を総合すると (3)BSEのサーベイランス 3.1.EU諸国におけるサーベイランス
・・・・ 3.2.日本におけるサーベイランス
日本では2001年10月から健康牛の全頭検査を牛肉の安全対策用のテストと称して導入する事を決めた。しかし当時日本では迅速テストの限界やEUのサーベイランスの目的についてよく理解していなかった。
3.3.OIEのサーベイランス基準 3.4.牛の非定型的異常プリオンの問題
・・・・・ (4)日本のBSE対策の問題点 4.1.安全対策のあり方と経済効率 日本の総人口1億2700万人の内BSEに感染する危険のある人は約0.0026人で、「1人にも満たない」というリスク分析の結果がある。それにも関わらず今日までに約4000億円の税金が投入されただけでなく、牛肉の高騰や安い牛肉の不足などによる消費者やサービス業界の経済的損失は約6000億円以上になり、我が国の経済的損失は人件費抜きで、合計1兆円以上と見なされている。1人の死者も出ない病気に1兆円以上も使い、外国にも同様に金をかけるよう強要するためには、日本の科学的根拠は余りにも曖昧である。 何故この様な事になってしまったのか、その理由を分析し今後同じことを繰り返さぬよう早期に対策の見直しをする必要がある。日本のBSE対策の反省点を纏めると:
イ)BSEが2000年頃に侵入するリスクは極めて高かったのに、EUの忠告を無視し緊急対応策の準備を整えていなかった。
4.2.屠畜場・食肉処理場の問題点 4.3.日本のサーベイランスの改善策
・・・・・
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II.小澤論説に対する反論 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
1.日本の検査 主な批判は、日本の専門家が迅速検査の限界や応用の目的を理解していないこと、勝手な検査手法(濃縮操作、使用抗体、ゴールド・スタンダード)を採用したこと、疫学的知見を含めた総合診断が欠けているという、3つの点である。これらについて反論する。 1-1.迅速検査の限界、応用の目的は充分に理解している
EUは4つの迅速検査キットについて、特異性、再現性、希釈度について比較試験を行い1999年に3つを承認した(本講座110回)。日本では、EU科学運営委員会の報告に掲載されている試験データと、開発メーカーのデータをもとに検討が行われ、3つのうち、もっとも感度が高かった、バイオラッド社の製品が採用されたのである。 1-2.勝手な検査法ではない
プリオン病の研究者の世界でゴールド・スタンダードという言葉は用いられていない。行政など対策にかかわる人たちが用いているように思える。
ほかの検査法として、以下の2つがある。
しかし、病理組織検査の場合にはその病変がBSE特異的であることを証明するために異常プリオン蛋白の存在を確認しなければならない。感染性試験の場合には発病がBSE感染によることを証明するために、動物の脳などについて異常プリオン蛋白の存在を確認しなければならない。 以下は、この点に関する食品安全委員会第32回プリオン専門調査会の議事録の抜粋である。要点をアンダーラインで示した。 「横山委員(OIE・BSEリファレンス・センター長):実はこのOI E Manual に関して、私たちも日本のプロトコールをそこへ載せられないかというような提言はしているんですけれども、OIEの事務局の方が返してくるには、各方法はあくまでリコメンドとして1つの方法をそのマニュアルには記載していると。複数のものをここへ併記するとまたマニュアル自体の混乱を招くので、現時点ではそのマニュアルの中に複 数入れることは避けたいと思っていると。 ただ、OIEのホームページからそれぞれの研究所へどんどんリンクさせるような形で、 マニュアルから発生したものはどんどん取り入れていきたということなので、日本でも実は今、英語版の確定検査のプロトコールをつくっていますし、厚生労働省でも準備してい ただいているんですけれども、そこへこのOIEのホームページからリンクできるように、また動衛研のホームページにそれを付けて、また感染研、北大の方へもいずれお願いしよ うと思っていましたけれども、そういう形でマニュアルの補完というようなことは今、考えています。 ただ、山内先生のおっしゃるように、SAF Immunoblot(注:OIEマニュアルに記載されている方法) 自体が方法論としては少し古 い。または非常に大量のサンプルを必要として、例えば、と畜検査所で少しのピースしかないようなものに対して、すべて応用できるかどうかということを考えると問題があると いうのは事実だと思います。」 2.日本の専門家に対する批判 海外の専門家のアドバイスを受け入れないとの指摘について、海外と日本の専門家の状況をまず、整理した上で反論する。 2-1.1996年—2001年頃における海外の専門家の状況 BSEに関心が高まったのは1996年vCJDが確認された時と2001年ヨーロッパでBSEの初発国が相次いで見いだされた時である。それらの時点を中心に海外の主なBSE専門家(学術面、もしくは学術面と対策面)を列記してみる。 英国
Neuropathogenesis
Unit, Institute for Animal Health フランス
Commissariat a l’energie atomique (CEA)(原子力庁研究所) 米国
University
of California 2-2.日本のプリオン病専門家
プリオン説が1982年に発表される以前の1976年、厚生省の遅発性ウイルス感染調査研究班が発足し、それ以来、CJDとスクレイピーで国際的に評価される成果が得られている。1997年には農林水産省のプリオン病研究班と厚生省の伝達性海綿状脳症に関する研究班が結成され、山内は前者の評価を受け持って現在にいたっている。後者は品川が班長を務めてきた。この研究班活動を通じて、さらに多くの研究者が育ってきた。国際的に見て、日本のプリオン病専門家の数は決して少なくない。そのほとんどがBSE対策の科学的基盤の検討にかかわってきている。 2-3.海外のプリオン病研究組織の多くは2001年以後に設立 日本では前述のように、1997年からBSE研究組織が活動してきたが、海外では、そのような活動が始まったのは、2001年のヨーロッパでのBSE騒動以後である。それらを列記してみる。 フランス:Dominique Dormontが中心になってフランス食品安全庁でBSE研究が始められた。全頭検査のキット(バイオラッド製)で用いられている抗体は彼が開発したものである。なお、彼は2003年に急死した。 ドイツ:1910年に設立された世界最古のウイルス研究所フリードリッヒ・レフラー研究所は口蹄疫、豚コレラなど家畜感染症の研究を行ってきた。ドイツでBSEが発生したことを受けて、この研究所に2001年にエマージング感染症研究部門が設置され、それまでチュウビンゲンでスクレイピーの研究を行っていたMartin Groschupをリーダーとして、プリオン病の研究が開始された。なお、山内はここを1998年に訪問したが、その時にはプリオン研究はまったく行われていなかった。(本講座第58回) カナダ:アルバータ・プリオン研究所が2005年に設立された。これは、アルバータ州代表団が来日した際、山内が説明した日本でのプリオン病研究の経緯がきっかけになって35億ドルの予算で設立されたものである。なお、山内はこの研究所の国際研究諮問委員会の委員(委員長:ハーバード大学医学部長Joe Martin)をつとめている。この委員会には上記のLinda Detwiler, Danny Matthewsも参加している。 ほかのヨーロッパ諸国では、特記できる研究組織は見あたらない。 米国: USDA Agricultural Research Serviceが、BSE例が見いだされた2004年以後に、英国Veterinary Laboratories Agencyなどとの共同研究を開始した。米国にはプリオン説を提唱してノーベル賞を受賞したプルシナーがいるが、USDAが全頭検査を支持している彼を敵対視しているため、研究協力はまったく行われていない。 2-4.屠畜場専門家、疫学専門家の不在
英国のBSE対策にかかわる専門家会議は1990年に設置された海綿状脳症諮問委員会(SEAC)である。これには上記のRichard
Kimberlin、Chris Bostock, Ray Bradley, Danny
Matthewsが委員をつとめてきた。この委員会には屠畜場専門家はいない。 疫学専門家の不在は日本での問題であり、小沢氏が呼びかけて結成された獣医疫学研究会の今後の活動に期待する。
3.非定型BSEについての記述は研究社会の考え方と異なる 3-1.非定型BSEは孤発性という作業仮説で検討されている
非定型BSEは昨年秋トリノで開かれた国際プリオンシンポジウム最終日に半日かけて議論され、孤発性という観点から検討が進められている(P.
Brown, L.M. McShane, G. Zanusso, L. Detwiler:
On the question
of sporadic or atypical bovine spongiform encephalopathy and Creutzfeldt-Jakob
disease. Infectious Diseases. Vol.12, No. 12, 2006、本講座172回、)。 3-2.日本の非定型例についての指摘は誤り
日本の2例では診断のためのデータ不足という指摘は、診断の項で述べたように、あたらない。 3-3.全頭検査はOIEに報告するためのものではない
「異常プリオンと似たパターンが見つかったからと言って、すぐBSEとしてOIEに報告してしまうと、日本はいつまでもBSE感染国」という意見は、本末転倒である。食の安全のために全頭検査をおこなっているのであって、その結果を農林水産省がOIEに報告しているのである。 4.スクリーニングの考え方を無視した論説
BSE対策は農場の牛と屠畜場の牛の両面であり、サーベイランスは農場を対象とするものである。屠畜場での対策について、日本とEUはスクリーニングに依存している。これはWHO専門家会議の勧告にもとづくものである(本講座第35回)。 5.莫大な費用を必要とする検査への批判 5-1.感染する危険のある人の推定は科学的に不可能
「感染する危険のある人は約0.0026人に対して4000億円の税金が投入された」という批判。この数字がどこでだされたかは分からないが、このようなリスク評価はヨーロッパでもまったく行われていない。 「今回のリスクの定量的評価というのは、ヒトへの暴露リスクという視点から考えているという点は、私はいいと思うんです。以前は暴露された後患者がどれくらい出るかというリスクで計算を考えようと、もしくは感染者がどれくらい出るかと。ですから、そういう形でリスク評価というのは不可能に近いだろうと。今回はヒトへの暴露を起こす可能性がどれぐらいあるかと。牛の方の話だと思うんです。」 英国、調査会いずれも同じ考えにもとづいているのである。感染した人数の推定は科学的に不可能である。 5-2.BSE対策費の大部分は農林水産省の予算
本論説は全体を通じて、全頭検査を大きな無駄遣いと指摘している。その文脈から推測すると、投入された4000億円では検査費用が大きな割合を占めるように受け止められる。 6.消費者のゼロリスク指向への批判 BSEが日本で発生することを予期していなかった日本社会では、発生直後はゼロリスク指向の傾向は見られたが、その後、講演会、新聞・雑誌の解説記事、解説書などを通じて消費者はよく勉強して正しい知識を身につけてきている。食品安全委員会などが開催したリスク・コミュニケーションに参加した海外のBSE専門家は日本の消費者がよく勉強しているとの感想を我々に述べている。その一例として、国際放送NHKジャパンでの山内との対談で、プルシナーは「日本の消費者の知識レベルの高さが非常に印象に残っています。日本の消費者は、ヨーロッパや米国、オーストラリアと比べて、情報量が豊富で、その点で、世界中が見習うべきだと思います。」と高く評価している。(スタンレー・プルシナー、山内一也:「全頭検査こそ合理的」科学、2006年11月。本講座174回) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
III. 小澤論説を掲載した日本獣医学会・編集委員会の責任 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||
本論説には、この反論で指摘してきたように、科学的根拠に欠ける面が多く、事実関係にも大きな誤りがある。社会的に大きな影響のある、この論説が審査を受けずに掲載されたことは、学術誌としてのJournal
of Veterinary Medical Scienceの信頼性を著しく損ねたと考える。 |
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